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ストックホルム大学教育学研究科(修士)を卒業しました。|成績も公開しちゃいます。

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キャリア・生き方

2017年8月17日をもちまして、正式にストックホルム大学教育学研究科を卒業しました。

修士論文の提出と審査は5月に終えていたのですが、修了証自体は手元にありませんでした。実家に戻ると、原本である修了証が届いていました。

修めた学位は、英語とスウェーデン語では以下のような表記になります。

(英語:スウェーデン語)

Degree of Master of Science :Filosofie masterexamen

International and Comparative Education : International ooh jämförande pedagogik

スウェーデン語だと、哲学修士となるんですね。

確かに教育学も専攻に入っていましたが、専門職学位ではないので教育学(修士)であるMaster of Education ではないようです。英語で表記する場合は、M.A in International and Comparative Education となるので、日本語なら、国際比較教育(修士) でしょうかね。

スウェーデンの大学院は忙しい。

ストックホルム大学の教育学研究科では全体で、6プログラムを修了することで、修士論文執筆の資格を与えられます。それぞれのプログラムでは、毎回ペーパーテストではなく課題論文が課せられます。プログラムの前半では、講義と文献の読み込みそしてグループワークとプレゼンテーションをこなします。それらの一連のワークを経て知識と技術が身についたかを計り、修士論文の練習をするために毎回課題論文の執筆に取り組みます。課題論文はもちろん英語で執筆で、だいたいMS ワードA4で30ページくらい書くことになります。

つまり、だいたい3ヶ月に1度のペースでこの分量の課題論文を、グループワークとは別で取り込むことになので、修論含めて7本この分量の英語の論文を執筆することなるという、なかなか忙しいプログラムなのです。

これを終えてようやく修士論文の執筆に取り掛かることになります。もちろん、課題論文をガッチャンこして修論を提出することは禁止されています。

イギリスやアメリカの大学院では、試験がテストだけだったり修士論文を書かないところもあるようです。それと比べると、なかなかハードなスケジュールだったなと..

さらにぼくは奨学金全部落ちたので、現地で仕事をして生活費をまかなって生きていたので、まあ鍛えられましたよね!

波乱万丈だったストックホルム生活

2014年8月に入学してからの3年間いろいろありました。静岡県立大学を卒業してからすぐにベルリンの若者政策のシンクタンクで就職をし、半年後にはストックホルムに舞い戻って大学院開始。同時に現地のIT企業に雇ってもらい食いつないできました。

僕はこうしてスウェーデンの会社で仕事をみつけて留学中の食い扶持を確保した。 奨学金も親からの仕送りもなかった僕は、北欧留学のための生活費を自分で賄う必要がありました。 2014年3月、1度目のスウェーデン留学を終えて静岡県立大学国際関係学部を卒業した…

この時からこのブログからも収入が入ったら楽になるなとマネタイズ化に舵を切りましたが。(当然、食っていけるレベルになるためには時間がかかりました)

2014年は僕の人生の中でも最も大変な時期でした。同居ビザを取得したスウェーデン人の彼女と別れ、スウェーデンで会った日本人の親友が日本で他界。そんな中で始まったこの多忙な大学院のプログラムは、ストックホルムの陰鬱な冬の闇のようにぼくを苦しめてくれました。幸いにもすばらしい友人に恵まれて、互いに励ましあってなんとか乗り越えることができ、春がやってきました。

2015年の夏はストックホルムのIT企業で仕事をしながら、たまにポーランドやバルト三国にクラスメートと週末旅行をしたりゆっくりしました。また日本からの若者支援の視察のコーディネートや通訳などもやらせていただけるようになってきました。

穏やかな2015年は、年の瀬になるにつれてまた陰鬱なムードになってきました。それは同居ビザの学生ビザへの切り替え申請が、移民局により拒否されたことから端を発しました。裁判所へ不服申し立てをしましたが、弁護士の助けもむなしく日本に帰国することになったのです。

こうしてぼくはスウェーデンから(半)強制送還されることになりました。 正確にいうと、強制送還されないために帰国です。 はい、先ほどチケットを予約しました。この3月15日に日本に帰国いたします。本来なら少なくとも大学院のプログラムが終了する6月までスウェーデンにいる…

この時点で、ストックホルム大学のプログラムは修士論文の執筆のみが残されていたし、データもあったので、場所はあまり関係ありませんでした。しかし、ここまで切磋琢磨しあってきた友人と一緒に勉強できないのは辛いものがありました。このタイミングで、スウェーデンのIT企業との仕事を日本からすることになったので、個人事業主として独立することになりました。

フリーランサーになりました!開業までにしたことなどなど どうも!そういうわけで個人事業主として開業しました! 開業した理由 開業した理由は、「フリーランサーになりたかった」ではありません。 もともと働いていたスウェーデンの某IT会…

転機が訪れたのは、毎2月に開催されているストックホルム大学と東京大学の教育学研究科のジョイントセミナーで、東京大学のある教授にあったことです。教授に「東京大学に留学してみないか?」とお誘いをいただいたのです。

こんにちは。 東京に帰国してから一週間、あまりの涼しさにびっくりしています。 これから少なくとも3ヶ月間は、東京を拠点に生活をすることになりました。 なぜならタイトルどおり、東京…

そして2016年7月から東京に引っ越しをして、東京大学教育学研究科に特別研究生として通うことになりました。東京にはこれまで住んだことがなかったのですが、専門の若者政策関連の知り合いや高校や大学からの多くの友人が東京にいたので、楽しい時間を過ごすことができました。また新たな繋がりもできました。

また、副業程度だったブログ活動もこの時から一気に伸びて、ブログだけで食べていけるくらいになったので、2017年4月にスウェーデンのIT会社の仕事も終わりにしました。

そして修士論文の提出がてら、シベリア鉄道に乗ってストックホルム入りをし、そのままヨーロッパ縦断、アフリカ入りの旅に出たのがこの5月だったのです。

2017年5月、三十路に差し掛かる男2人(モロズミ、ヤマシタ)で「シベリア鉄道のりかえ北欧を目指す旅」に出ました。その時の記事をまとめます。

これから

アフリカ滞在を終えて、一時的にストックホルム入りをして通訳の仕事を2件終え、今こうして日本に帰ってきたのが先週です。これまで仕事と学業とブログと掛け持ちがおおかったので、今はとってもスリムになっていい感じです。

今年の初めにやりたいことを7つ宣言したのですが、今のところ達成率は半分くらいです。

トランプ旋風な2016年の振り返りと、2017年に挑戦したいこと7つ 新年、明けましておめでとうございます。 今年は2年ぶりに年越しを日本の実家で過ごすことができました。実家のビーグルも白くなってきましたが相変わらず、おばかでした。 Happy Ne…

それをカバーする形で、とりあえずこの先半年はこんな感じになるかと思います。

  • 秋冬春はとりあえず東京を拠点にする
  • しかしその間に北欧視察の予定があるので、行き来自由にできるためにワーホリビザや起業ビザなども検討する
  • NPO支援や出版予定の本の編集、講師などブログ以外のなりわいも増やしていく
  • 新たな職や国の可能性も検討する(大学研究職、Ph.D、NGOなど)
  • スウェーデンの政治教育の副教材を翻訳
  • VoteITの翻訳プロジェクト始動
  • 学会論文を寄稿する

そういうわけで、まずは都内で住まいを探します。

【都内で住まい探し中】 先週帰国して、すでにいくつかあたっていますが今週から本格的に東京で冬に住む拠点を探しています。シェアハウスでもいいですが、 ・2年とかの長期契約ではなくフレキシブル

・できれば家具付き(すぐに寝れればよしいうこと)であると嬉しいです。心当たりの方ぜひ!

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