さてどうしようか。
27歳、独身、フリーランス、北欧の大学院在籍。これからどうしようか。
世間では、このくらいの年齢になると会社でも新卒を育てるくらいのポジションなんでしょうか。ストレートで大学院進学し、博士号を取得した友人はもう大学で教えています。新卒で入った会社を辞めて、転職した人もいれば、結婚して子ども授かった友人の顔も浮かびます。そういえばスウェーデンの友人の結婚式に出席してきたばかりでした。
周りからは「引っ張りだこじゃん」とか言われますが、そんなことないですよ、まじで。(引っ張ってください泣)
高校生、いや大学生くらいの時には、このくらいの年齢になったら、なんとなく「落ち着いている」んじゃないかと思っていました。進路にもう悩みなんてないんじゃないかと、残念ながらハズレでした。いや、たぶん残念じゃない。
そういう生き方のための、意志ある選択をしてきた結果なんだろう。山田ズーニーさんの言葉でいうと、こうだ。
自分が、日々、一瞬一瞬、してきた、意思とは言えないほどのささやかな選択の積み重ね、それこそ「ピントのあわせかたひとつの違い」の集積が、自分を導いていって、そして、自分の道ができ、尊厳ができ、私たちは、自分で「選択」せざるをえないところまで来るのだ
山田ズーニーさん
山田ズーニーさんとは誰かというと、Benesse小論文編集長を経て独立し、現在は、文章表現・コミュニケーションインストラクター。ベストセラーは、こちらです。
実はぼくは、山田ズーニーさんのことは、大学受験に失敗した18歳の時から知っていました。今思うと大げさだったなと思いますが、そりゃ日本の地方の進学校に通っていた高校生にとっての、大学受験ですから。
進路の決め方に疑問を持っていたぼくは、山田ズーニーさんの「大人の進路教室」をポッドキャストで聞いて、この「意志ある選択」という言葉に出会い、中学の時の国際交流の経験を軸にして進路を決めたのでした。
(それから静岡の国際系の大学に一浪してなんとか入れました。ちなみにズーニーさんの本がこの大学の、キャリア指導の授業の教科書になったのはぼくが担当教員にお勧めしたからでした。その後、同大学の講師として招待をされて来た時には一人で感極まっていました。)
やりたいことをやりおえた?
4年近くのヨーロッパ滞在を終え、節目にいるんじゃないかと最近感じていまして。
北欧のユースワーク、若者政策を純粋に学び、日本に伝えるためにこちらに留学し、大学院にも進学しました。その間、現地で若者団体とのインタビューを重ね、若者施設でインターンシップをし、しまいには、スタディーツアーのコーディネート、日本からのメディアの取材の通訳、同行まですることができました。はじめてスウェーデンにスタディーツアーで来た時に、描いていた「短期的な理想像」が本当に形になったのでした。
そんな中で、居住許可がおりなかったことから帰国を余儀なくされました。せっかく、友達もできてスウェーデン生活が快適になってきたにもかかわらずです。スウェーデンの仕事をキープするために個人事業主にもなりました。まだ修士論文出してないのにです。
***
そして今ここです。さてどうしよう。スウェーデンには博士課程にいくか、パートナーができない限り戻れない。これが大きなハードルなのです。
新しい刺激をもらおうと、リトアニアのサマースクールにも参加しましたが、いまいち。どうも「これだ!」という直感が働かない。これが俗にいう「アイデンディティクライシス」というやつなのか…?
以前もそんなことを考えていたので、こんな記事を書いていました。
そういうわけで、ちょっと「考え方を引き出す」必要がでてきたので、久しぶりに原点に戻って、ズーニーさんの「大人の進路教室」をKindleでポチッとダウンロードして読んでみたのでした。
ああよかった、読んで正解。この章に救われました。Lesson 1、2、3です。
ズーニーさんが、会社員からフリーランスへ、編集者から書き手へ転身し「アイデンディティ」を組み替えて、進路に悩んでいる時に、ある先生にかけられたのが、この一言。
それは、きちんと前に進んでいる証拠です。
同じところにいたら、そのような「グラグラ」の状態は起こらないからというのです。
この言葉に救われました。自分が悩んでいるということは、進んできたらなんですね。岐路に立ち、悩んでいるぼくもあなたも、ここまで進んできたからこそ、いま揺らいでいるだけに過ぎないということですね。
やりたいことは、人とのつながりの中にある。
ズーニーさんのもうひとつの名言がこれです。
多くの人が、「やりたいこと」というのは自分の中にあるものだ、と思っています。しかし、そうではないんだということに気づかされた体験談が本書で語られています。
ズーニーさん自体、もともとやりたいことは「明確」だった。しかし、それを実現する手段が、自分の考えもしないやり方でやってみたらどうかと、ある人に勧められてやってみたら、意外と反応が良かったという。編集ではなく書き手として、そして書くだけではなく、教壇に立つという方法で自分を表現してみたら、読者も生徒も「いいね」してくれた。そして、それが自分の「やりたいこと」だったと後々、自覚したという。
ズーニーさんはそのプロセスをこう表現する。
私の場合、やりたいことは、人に引き出され、導かれして、初めて見つかっていった。
やりたいことは、人とのつながりの中にある。
そして、「つながり」というのは、単なるパーティーや名刺交換会に参加するということではないと念を押す。
人とつながるには、
自分の中にあるものを出して、表現するしかない。
自分の中にある、感情、想い、考え、を、言葉なり、行動なり、生き方なり、なんらかの手段で、カタチにして、人に見せる必要がある。
と締めくくります。
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「意志ある選択」、「やりたいことは、人とのつながりの中にある」
初めてこの言葉に遭ったときから、この言葉を何度も反芻しずっと意識してきました。今回、久しぶりに読んで、ハッとしたのは、最後の「人とつながるには、自分を表現するしかない」という言葉でした。
思えば、こうやってブログを書いていたからめぐりあった、出会いもありました。しかし、最近のちょっと前までのぼくの記事は、あまり「自分を表現する」というよりか「役に立つ」「学べる」「ためになる」こと情報ばかりを発信していたように思います。
もちろんそれも、ぼくの表現の一部です。しかし、mixiを使って定期的に日記を書いていたときのほうが、はるかに「自分」を出しきっていたように思います。もっと生々しかったというか。
もう少しそういう自分も出していく記事もこれからは書いていこうと、気づかされました。そして、この記事もなんだかズーニーさんの文章のように句読点が多い文章となりましたが、「ブログライティング」にとらわれずに、表現していこうと思いました。
人とつながり、自分のやりたいことに再び出会うまで。