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スウェーデンのユースワークの巨匠、アンダーシュさん亡くなる。

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スウェーデン中腹にあるÅreという場所でスノボしてるときに、友人がこの記事を教えてくれました。このブログでも何度も取り上げたFryshusetというストックホルムにあるヨーロッパ最大規模のユースセンターの創始者であるAnders Carlbergさんが亡くなったという記事です。3年前に初めてスウェーデンに来た時にFryshusetを訪問しその規模に衝撃を受け、スウェーデンのユースワークに興味を持つようになりました。留学後も、フィールドワーク日本からの視察で何度か訪問もしました。そのセンターの創設者が亡くなった事はなんとも悲しいことです。お悔やみ申し上げます。

以下、記事を簡単にですが日本語訳しました。元記事はこちらです。

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ベテランユースワーカー、アンダーシュ・カールベリイ死去

ヨーロッパ最大のユースセンター、フリーシュヒューセットの創始者が土曜日の朝、家族に看取られ亡くなった。アンダーシュ・カールベリイは1984年にYMCAの支援を受けながらストックホルムに同施設を設立した。フリーシュヒューセットは、初めは若者が音楽やスポーツをする場所として始まったが、すぐに非行青年にとっての”天国”となり、アンダーシュ・カールベリイはユースワークの議論に何度も取り上げられるようになった。

1986年の夏、ストックホルムで起きた10代の若者の暴動を皮切りに、政府がフリーシュヒューセットに介入を求めるようになった。フリーシュヒューセットは全国規模のキャンペーン活動を実施し、非暴力に関するレクチャーを全国で展開した。

しかし1980年代後半、ネオナチのスキンヘッド若者グループ, ストックホルムスキンズ(Sthlm Skins)に同施設の一部の利用を許可したことからアンダーシュ・カールベリイは論争を巻き起こした。そのころスウェーデンでは極右団体が形成され始めた頃であり、スキンヘッドの若者はストックホルムのガムラ・スタン(Old Town)に群がるようになっていた。店舗経営者は、彼ら若者が観光客を脅していると不満を述べていたのでアンダーシュ・カールベリイは若者らにフリーシュヒューセットに集まるように許したのだった。その2年後、1人のスキンヘッドが施設を焼失させ、ストックホルム・スキンズはフリーシュヒューセットの本施設に移ることが許可された。

フリーシュヒューセットに来ていたスキンヘッズには、Aftonbladet新聞社の記者に暴行を加えた若者もいた。1996年には、政治家とメディアによる批判を受け、同施設のスキンヘッド・プロジェクトは終了した。

アンダーシュ・カールベリイは学生だったころ、1967年から1970年の間でSwedish Leftist Youth で議長を務めるなど左翼の政治活動に活発であった。また1968年にストックホルム大学で起きた学生占拠運動においても重役をこなした。1970年代には、Communist League を共同創設し、1982年には社会民主党に入党し、ストックホルム市議会、学校庁、警察庁において代表を務めた。後世では、アンダーシュ・カールベリイはキリスト教信者になった。

2007年、Swedish Salvation Army’s Hanna 賞を受賞、2010年にはSwedish Patriotic Societyの若者教育部門でメダルを授与した。

フリーシュヒューセットは、”冷蔵庫”を意味しており、元々は古い倉庫の中に位置していたが後に、ストックホルム南の24000平方メートルの施設に移転された。今日ではヨーロッパ最大級のユースセンターである。土曜日のフリーシュヒューセットのホームページには彼への哀悼の意が表されている。カールバーグは土曜日の朝に家族に囲まれて亡くなった。彼には妻と2人の子どもと三人の孫がいた。彼は69歳であった。

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記事からもわかるように、彼は元々は学生運動などに活発だったということがよくわかります。夏にインターンシップをしていたユースセンターにはフリーシュヒューセットの歴史などを綴ってある本がありました。いつかこれを訳せるようになりたいです。

Fryshuset inifrån | Ingemar Lundh | 90 SEK
ISBN: 9789185705092. Sivart Förlag. 2008. 363 sidor.

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