札幌へ
実に4年ぶりに北海道へ来ました。冬に来るのは初めてでしたので、大都市の雪景色にはしゃいでしまいました。
ということで、今回は、さっぽろ気候変動タウンミーティングで話しました。
1月からはじまり今回で6回目。市民活動や市民参加が生まれるヒントをスウェーデンを題材に話しました。
勇気と丁寧さが垣間見える場づくり
印象的だったのは、勇気と丁寧さが垣間見える場づくりが起きていたこと、そして高校生がファシリテーショングラフィックに挑戦していたこと。私の話した内容も、このようにわかりやすく、その場で文字にしてくださいました。感激です!
私が話題提供した後、これからどんなアクションができるかを詰めていくはずが、場から「無力感」を汲み取ったファシリテーターが、「なんでこんなに無力感が頼ってるんでしょうね?」と問いを大きく変えました。
すると、その無力感をめぐって場の空気がガラッと変わり一体感が生まれました。この舵取りは相当な勇気がないとできないファシリテーションだなぁ感銘を受けました。
脱権威化の徹底
それとあらゆる人が対等に関われるようにするために、様々な工夫が施されていたこと。例えば、会が始まる前の名刺交換の禁止、所属や立場などを自己紹介の時に言わなくていいというルール、そしてマンスプの解説など。

多様性のワークショップでは無いにしても私はこのぐらい丁寧にグランドルールを共有する事は、残念ながら、日本人の我々には(特に多世代で多様な人が集まる場では) 必要なことだと思ってましたが、本当にそれをしっかりやっていたのがもう一つの驚きでした。(これもまた勇気がいることです)
つまり、脱権威化をあらゆる方法でしていたということです。ゲスト講師として招待いただくと、主催とすぐに名刺交換したり、講師専用の席があったり、(マッチョな)プロフィールの紹介があったり、先生呼びがあったり、大拍手でお出迎えしたり、締めのありがたい言葉を発することになったりということがあります。
このようなコミュニケーションが権威化を進め、「講師」と「参加者」という序列をつくってしまい、フラットなコミュニケーションを阻んでしまうということが、その場に影響を与えてしまいます。

私自身も「権威主義はダサい!」と思っているので、それを大事にしていることが直ぐにわかって馴染むことができ、「偉そうな先生」としてではなくいち情報提供者として気持ちよく参加することができてよかったです。(それに馴染んでない「大先生」と扱われてた先生方はこういうのに戸惑うかもしれないけど、そういう文化もうおわりにしませんか…)
ここ数年で稀にみるあらゆる「権威」を骨抜きにする素晴らしい場でした。スウェーデンでも敬称をつけないで下の名前で呼び合うことが普通になっている(教員と生徒の関係であっても)こととか講演で触れてもよかったなと思ったり….。

そんな対話の場を回していたのは、 SNUG(スナッグ)の長谷川さんと、ユーススタッフの皆さんでした。AoH(アートオブホスティング)を学んで対話の場づくりをされています。
追記
当日の様子を記事にまとめていただいたので貼っておきます。
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