沖縄でこちらのイベントで登壇させていただきました。
当日の様子は以下からご覧いただけます。
なぜ「ユース」?
「子ども」は共感を得やすいが「若者」「ユース」はまだまだ。沖縄であえてユースに着目して、支援概念を入れないで場を開いてみたらこんな風になりましたという5つ実践報告を私の講演前に聞きました。
「若者の生活世界」を守る実践
その中で印象的だったのがゲームで若者の集う場を開いている方が話していたこと。e-sportsが流行り出した時に、これから市場が拡大するということで大人がゲーム界隈に侵食。元々、プロゲーマで、ゲームコミュニティを作っていた彼はこれはまずい、若者のゲーム文化が壊される、守らねば!ということでゲームで集える場を始めた。 まさにこれこそ、若者の生活世界を守るということだよなと感銘を受けました。
というのも私の大学のゼミのテーマも「若者の生活世界の構築」であって(構築じゃなくてもいいか…再発見とかにしようかな)、ユースワークを教える、スウェーデン研究するというのをやってないのです。 この語りがしっくりくるのは、若者支援だから大事だよね!だと、支援する/されるに傾きでいつまでも世代が変わらないし、若者の社会参加のために大事だよね!だと、成長とか学びとか民主主義のためだとか、教育に傾くからです。
いやいやそうじゃなくて「若者の生活世界」はそもそも大人がつくろうとしなくても、そこにあるじゃん、それがあちこちにある地域って素敵じゃないですか、という世界観に立つから私は好きです。
「ユース・若者」自体が価値を持つ社会へ
ちゅらゆい代表の 金城 隆一さんも話していましたが、助かった子ども・若者がいてよかったよねではなく(もちろんそれはそれで大事)当たり前に、若者の場所がある日常や地域に価値を置きたいよねという、世界観に立つことが、今後この業界に求められていくのかなと思いました。
ユースワークが着目されるようになった背景
大きな時代の流れとしては、若者・ユース自体の価値を教育でも支援でもなくその意義をどう語ればいいかということに注目が寄せられ、そこへユースワークに白羽の矢が立ったと。けど実際は、ユースワークの概念自体は日本には90年代くらいから入ってきてた。つまり、児童福祉、青少年教育や若者支援の文脈でこれまでユースワーク概念が都合よく使われてきてしまった(道具化)と言えるかもしれません。 特に日本では2000年代は若者支援の文脈が強かったので、自立支援とかいって、ユースワークが妙に「移行型」(フォーラム型を置き去りにして)で理解されてきたのだなあと。
それが、いよいよ子ども・若者の「権利」が位置づけられた時に、支援や教育は色々あっても全然、主体(若者)の参画が進んでいないじゃんってなって、新たな語り口として「ユースワーク」のちゃんとした理解が求められるようになった、なんてことを考えました。
レジェンド世代からの我々の世代へ
そしてやはり、どこの地域にもレジェンドはいるということ。今回でいうと、団体の代表さんたちなんだろうけど、当日登壇予定だった代表がインフルで動けなくなって、若い職員が中心になって動いていました。当日も普段から居場所に来ている若者たちに手伝ってもらいながら場が動いていた景色がみれたことが何よりも嬉しかったです。(若者を置いてけぼりにしながらこういうイベントってやりがちですから。)
私もレジェンドに育てられた一人ですが、あの世代のモーレツさにこれ以上甘えてはいられないですよ、我々の世代。レジェンド世代はやりすぎちゃったし、今でもやれちゃうから、後玉が育たないみたいにみられてしまう。本当はできるし、めちゃやっているのに。だからこそ、細々としたユースワーク界隈が横でつながってこうやってエンパワメントしあっていけたらいいなと、励まされました。
2023秋に実施したユースワークキャンプの「ユースワーク・コミュニティ」のDiscordおじさんとしては、そういうことも意識しながら頑張っていこうと思った次第でした。Discordコミュニティに興味ある方、お知らせください!全国のユースワークな人がいっぱいいます。
早速2024年の開催が決まっていますのでご予定ください。
追記:メディア掲載
沖縄タイムスに掲載いただきました。
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