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若者の「自己肯定感を高める教育活動」への違和感

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「自己肯定感を高めている実践を北欧でみたい」という問い合わせをいただきました。

「自己肯定感を高める」は唯一のゴール?

研究は研究なので自由にされてはいいですが、個人的には「自己肯定感を高める実践としての若者の社会参画活動」という着目の仕方は、あまり興味がないです。なぜなら自己肯定感は結果論であっても、唯一のゴールであってはならないと思うからです。

(もちろん心理的安全性を確保すること、個人を尊重することなど基本的なことを保障することは大前提です。)

極端にいえば、例えば、差別的なコミュニティやSNSで自己承認欲求を高めている人だって、その閉鎖的なコミュニティ内の承認のおかげで自己肯定感を高めていることだってあるからです。(例えば国会襲撃をしたキューアノンの人々)

縦の軸と横の軸

言い換えるなら、主体性、成長、自己肯定感という「縦」の軸のみへの着目です。

拙著『若者からはじまる民主主義』 p.184

拙著の、この図の縦の軸のことだと言ってもいいでしょう。

横軸は、人権、民主主義、連帯のことです。

このような「横軸」への着目なしでの「縦軸」への注目は、自立した個人がサバイブしていく(アメリカのような)社会を想定しているとも考えられないでしょうか。果たして私たちはそういう社会に生きたいのでしょうか。

何かを語っているようで、何も語っていない

今日本で起きている自己啓発ブーム、何もしない時間が無駄になる「タイパ」、は資本主義的なサバイバルな自己を内面化した結果ではないでしょうか。弱者の連帯としての民主主義というツール(それはもっとオープンで自己肯定感など高くなくても参加できる)があることを忘れてしまっていないでしょうか。

故に、教育で成長、自信、主体性、自己肯定感を!という取り組みには、そういう眼差しでみています。

何かを語っているようで、何も語っていないようにみえてしまうのです。

関連ツイート

以下のツイートもタイムリーだったので貼っておきます。

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