生涯学習社会、スウェーデンを支えるスタディーサークル とは?
スウェーデンがヨーロッパの中でも突出していることの一つに、高い生涯学習への参加率があげられる。
Eurostatによると、スウェーデンの25歳から64歳の成人のうち、過去4週間以内に何かしらの教育や職業訓練をした人の割合は30.1%であり、調査に参加したEU加盟国の中でトップなのである。
何が、スウェーデンを生涯学習社会足らしめているのだろうか?
大学まで学費が基本的に無償であることが、経済的な参加の障壁を下げていることはもちろん、デンマーク発祥の市民大学・民衆大学と呼ばれるフォルクフーグスコーラ、移民のためのスウェーデン語学校などの多様な市民の受け皿となる教育現場を提供できていることも、その理由のひとつであることは間違いない。
スウェーデン各地へ視察すると避けては通れないキーワードのひとつが、「デモクラシー(民主主義)」であるが、それとセットで出てくる言葉の一つに「スタディーサークル」があげられる。スタディーサークルとは、端的にいうならば「大人が自主的に作り上げる学びの場」である。
最低、3人いれば立ち上げることができて、その3人で学びたいことを学ぶ。音楽、陶芸、読書会、言語、社会学、化学など、あらゆる科目が対象であり、自分たちで学びたいものを定めて学ぶ場合もあれば、すでに開講している講座を受講する場合もある。立ち上げたスタディーサークルは、10種類ある学習支援協会に登録すればその施設を借りることができたり、経費への補助金に申請をすることができる。
視察時に、民主主義という言葉とセットで耳にするのは、このスタディーサークルがスウェーデンの「民主主義の基盤となっているから」と言うのである。
それでは如何にしてこのスタディーサークルがスウェーデンの民主主義の基盤形成に寄与しているのだろうか。
2018年6月、静岡県立大学で中高生の余暇活動の支援を行う学生サークルYECとある組織を訪問した。
ストックホルムの目抜き通り、ドロットニング通りの近くにその組織の事務所は位置する。
訪問したのは、Studieförbunden。和訳すると「学習協会」となる。学習協会は、個々のスタディーサークルが登録している10種類ある「スタディーサークル」の集合体と政府(民衆教育協議会)との橋渡しをする傘組織、つまり元締めの協会である。図示すると以下のようになる。
つまり、スタディーサークル自体は、個別で自由に活動をしており、10種類あるスタディーサークルへの加盟は任意なのである。その10種類のスタディーサークルを取りまとめているのがこの学習協会だ。
訪問を歓迎してくれたのは、協会でアナリストとして働くヨーラン。なぜスタディーサークルがスウェーデンの民主主義作りに貢献しているのか。その疑問をヨーランにぶつけてみた。
私の名前は、ヨーラン・ヘルマンです。私はここでアナリストとして働いています。私達が所属する団体は、10個ある学習協会から構成される傘団体となっています。それでは、今から歴史について話します。
※通訳:両角、質問:同行した学生、文字起こし協力:Misaki Suzuki
スウェーデンのスタディーサークルが生まれた背景
スタディーサークル自体は100年以上の歴史があります。今日の私たち学習協会は1903年成人教育協会 (Folkbildningsförbundet) の名の下に設立されましたが、初めできたスタディーサークルは1894年にできた禁酒運動を目的としたスタディーサークル IOGTです。学習協会は当初より教育の機会の提供・人々をエンパワメントすること・民主主義の知識を広めること、を目的として活動してきました。
これができた背景としては、当時、スウェーデンではフォーマル(公式的)な学校へ行くことができる人が非常に少なかった、ということがあります。そんな中、スタディーサークルは様々な運動から出てきました。その運動の中に含まれてくるのが、先ほども言った禁酒運動、労働組合の運動などです。最近では、環境保護の団体により立ち上げられたものもあります。
スタディーサークルの基本的な原理原則は、フォーマルな学習方法とは違うものです。フォーマルな学習方法といえば、1人の先生に対して多数の生徒がいて、1人から多数へ、という方法が普通ですが、スタディーサークルはそれぞれの人たちが、民主的にお互いに学び合うという場です。全ての人がその場に貢献しなければなりません。そうすることにより、互いに学びになるようにしています。当時、この考え方が出てきた時は、非常に急進的な考え方だったのですが、結局このやり方自体がフォーマルな学校教育の方にも取り入れられていって、上手くいっています。
スタディーサークル及び学習協会は、スウェーデンにおける民主主義の発展には欠かせないものです。2017年は、女性へ参政権が与えられて100年の年だったのですが、女性が参政権を得たのもスタディーサークル等のこの運動があったからでした。なぜなら、スタディーサークルの原理原則としてあなたが誰であるか、どこの国の人でどこに所属するか、は全く関係無いからです。更に先生が「私は先生だからね」というような、そういうことも全く関係ないことなのです。よって、ある意味スタディーサークルというのは、民主的な参加のトレーニングキャンプなのです。
人口の5分の1が参加するスタディーサークル
スタディーサークルは100年以上継続していますが、未だにとても人気のある学習形態となっていて、参加者は180万人、スウェーデンの人口は1千万人なので、そう思うと非常に大きな数ですよね。スタディーサークル自体は3万サークルあります。スタディーサークルに所属している人々は、首都ストックホルムだけではなく、国全体の290ある自治体にも存在します。そこで色々な活動が展開される中、そのすべての代表組織をしているのがここ、学習協会です。
学習協会は、市民社会の運動・活動にも大きく貢献しています。例えば、スウェーデンにもボランティアやNGO等があります。そういう市民団体が事業を運営していくときに、必要となる事をスタディーサークルが提供できます。例えば、金銭的な援助、リーダーシップ研修、場所の提供などです。
これって、「組織運営の仕方をスタディーサークルで勉強するよ~来たい人おいで!」という感じなのか、それとも「組織運営の仕方について助けがほしい」とあって、そこに必要な支援をするのでしょうか?
まず、スタディーサークルには2つのタイプがあります。1つ目が、スタディーサークルに、ある知識や技術に詳しい人が1人いて、その人のことをサーキュレーターと呼びます。サーキュレーターを中心にして、例えばその人が日本語を教えるという場合、その講座に参加したい人を募ります。そしてその講座自体は、誰でも参加可能です。
もう1つは、最も一般的なやり方で、例えばここにいる5人が「水」について学びたいとしたら、その5人でスタディーサークルを立ち上げることができます。立ち上げたら、このスタディーサークルが登録している学習協会から、教材を提供してもらったり、学習方法を教えてもらったりすることができます。ボランティア団体は大体、後者のプロセスで発足し、スタディーサークルになっていって…ということが多いです。
前者の、サーキュレーターがいるタイプのスタディーサークルについては、サーキュレーターが教えたい、やりたい、広めたい、といって始まるのでしょうか?
その通りです。やはり大きな違いとしては、前者は、ある専門知識を持った人たちを中心に組織されるもので、セミナーのように見えますが、やはりスタディーサークルのやり方でやります。それこそカリキュラムがあって、これを目標にして、その為には教科書をここまで読む、・・・というやり方ではありません。ここもスタディーサークル的なやり方でやっていきます。だから、すごく時間がかかるときもあるし、一直線に行かないでぐだぐだ行く時もある、という感じです。
スウェーデンはABBAを初めとするポップミュージックが有名ですけれども、そういうアーティストのグループも、大体昔はスタディーサークルをやっていて、それから成功していったのではないかと考えます。
要は皆プロじゃなくても良い、素人が学べる場であって機能していて、結果としてみんながプロとして学べる場となれば良いと考えています。スウェーデン中どこでもスタディーサークルができることもポイントです。それこそ、辺鄙な村だったり地方であってもこういうことができるということが大事で、これができているのはスタディーサークルのおかげです。
移民の社会統合をも担う、スタディーサークル
民主主義の視点からいえるのは、スウェーデンのスタディーサークルは、スウェーデンの民主主義社会を作るのに不可欠な役割を果たしています。それこそ、スタディーサークルが最初にできたときは、「フォーマルな教育(学校など)」にアクセスが無い人たちのためにできました。今日においても、そのような課題と向き合っているのがスタディーサークルであります。
それこそ、最近でいうと移民問題ですね。日本とは違って、スウェーデンは移民・難民を多く受け入れてて、まだスウェーデンの社会に言語の壁とかもあったりして、馴染めてない人たちだったりとかが多くいます。そういう人たちへの支援をしているのがスタディーサークルです。色んな団体が支援をしていて、それこそスウェーデン語を教えたりもそうだし、スウェーデン社会に馴染む為はどうしたら良いかを教えたりだとか、伝統的な家族の考え方―例えば中東での家族のあり方や、母親の役割はスウェーデンの考え方と全然違ったりするでしょう。そのような文化的な差異によって生じる葛藤などを、尊重しつつ解消していく、ということもスタディーサークルが担っている活動です。
移民の人たちは、そもそもスタディーサークルの存在を知らないかも知れないし、自分から参加するかも分からないじゃないですか?自発的に参加する人たちだけだと取りこぼしがあるんじゃないかと思うのですが、そういう人たちを巻き込むために何かしていることはあるんでしょうか。
スタディーサークルが色んなところで起きていている訳ですが、移民の人が多い社会の中でもスタディーサークルは起きています。その中で活動を共にしていく、ということもあります。例えば、スウェーデン語を教えるとかもそうですが、ユースセンター・児童館などに色んな若者たちが来る訳です。そこに移民難民の人たちも来るから、そこで一緒に音楽活動などをして、活動を共にし、その中で人がどんどん繋がっていく、ということをボランティア団体がやっています。
その中で、スウェーデン語があまり上手くない子がいたりしたら、「スタディーサークルというのがありますが、そこで一緒に勉強しませんか?」という感じで誘ったりして参加することがあります。それこそ、特に難民の人たちは、政府への信頼感が無いのです。戦争で抑圧されて来たので。だからボランティア団体は政府じゃないから信頼できる、だからボランティア団体がこれを担って、スタディーサークルへ繋げていく、ということをしているのです。
スウェーデン政府がスタディーサークルに予算をつける理由
財源の話になりますが、スタディーサークルに拠出されるお金の6割が、国と地方自治体から来ています。それこそ、国がスタディーサークルにお金を付けているのは、政府が現場でできないことができるからです。6割の財源が国から来ており、残りの4割は、スタディーサークルに参加している人たちからの参加費です。
色んなスタディーサークルが立ち上がって、たとえば、若者で雇用支援や教育が必要な若者たちの支援をしたいとなった場合、そのための財源を出すことがあります。また、EUから出ているお金もあります。これは、スタディーサークルではない、別の場所から出ているお金になります。スタディーサークルが、更にそういう活動をするとなった場合、別でお金をもらいにいくこともできます。
一番大きなスタディーサークルとボランティア団体の違いは、スタディーサークルの方が安定的な財源があることです。それこそこういう大きな組織があるわけですから。スカンジナビアの、スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、デンマーク、これらの国でスタディーサークルがありますが、その中でも特にスウェーデンがお金をちゃんと付けて活動しています。アイスランドは似たような形態の組織はあるが、規模はそこまででもないです。
政府予算の配分の基準はどうなっている?
国や地方自治体から来るお金が、それぞれ特色があって政治や宗教と結びつきがあるスタディーサークルもある中で、どう分配しているのでしょうか?偏りがあるのでしょうか?
だからスウェーデンには、民衆教育諮問委員会 (Folkbildningsrådet)という委員会があって、そこがお金の配分を決めています。どの学習協会にいくら配分されるのか、というのを決めていますが、それで基準になっているのは、どれだけの人数の人が加盟しているのかとか、何箇所の支部があるかとか、そういう数値的なものになっています。考え方や、主義・信条で決めたりはしません。お金がかなり出るので、「ボランティア」では無くなっているのではないか、という面もあるのではないかとも考えます。
スタディーサークルを支える4つの原則とは?
政府から資金がもらえるから「ボランティア」ではなくなってきているのですよね?
スタディーサークルは、普通の学校教育などとは違って、政府のものでは無いですよね。ここの大きな違いの話になりますが、政府から学習協会への要請が4つあります。その1つが民主主義を発展させ強くしていくこと、2つ目は教育の質を高めること、3つ目は人々をエンパワメントして社会参加を促していくこと、4つ目が、文化的な活動を人々の中に広めていくこと、この4つの原則があります。これらをどのようにやるかとか、具体的に何をするかというのを規制していませんし、決められてもいません。これらさえ満たせば、自由にやっていいよということになっています。だから学校教育だったら、どういうカリキュラムでやるかが決まっていますが、学習協会では決まっていないから、比較的自由にできます。
4つの原則に基づいてそれぞれのスタディーサークルが自由に活動をしているということですよね。
政府機関やNGO等の多くの他の団体は、学習協会のことを羨ましいと思っています。なぜなら、特に規制も無いし、自由度が高いからです。そうなっているのは、スウェーデンの社会の中でやっぱりこのスタディーサークルが大事にされているからだと思います。それこそ、このような学習形態というのはすごく大事で、約30%となる高校などの学校を辞めた人たちの受け皿になっています。
生涯学習社会、スウェーデンの学びへの渇望はどこから湧いてくるのか?
そもそもスウェーデン社会においては、人々はどこから学びたいという意欲がきているのでしょうか?
学びたいという欲求は、スウェーデンの歴史の中でずっとあったのではないかと考えます。スウェーデンの昔の歴史の話をすると、王政だった時に、1600年に(カトリック教徒を粛清して)ルター派を国教化しました。それは2000年まで続いたんですが、それまでは王と教会が手を組んで、市民に読み書きを教えるということをしていたということです。そうすれば聖書を読めるようになりますよね。その甲斐もあって1500~1600年代に市民の識字率はどんどん上がっていきました。1842年になって、政府と王が初めて義務教育を導入しました。そもそも義務教育には長い歴史があります。その時から、学びたいという欲求というのは始まったのではないか、と思います。
夜23時に帰宅して、よしこれから学ぼう!とはならないでしょう?
自発的に義務教育は受けるということになっているけど、それ以前に自分で学びたい・・・日本だと、義務教育は行かないといけないからやっていることが多いのかな、と思うのですが、学びたいという欲求が日本ではそんなに無いのではないかと思うのです。
もしかしたら「スタディーサークル」みたいなものって、必要無いのかもしれません。スウェーデンは人口も少ないし、人口密度も低くて、人がこの広い面積の国土に広がっていて、20%の人口がストックホルムに住んでいますが、更に冬は寒いし…という国で生きていくには、人々は「創造的(Inventive・creative)」でならないとやっていけないというのがあるのかもしれません。それこそ、今では、イノベーティブなスウェーデンの会社が世界的に有名になっているように。
スウェーデンは、「buildning」という言葉があって、これは”education”、つまり「教育」とは違う意味なんです。この言葉には3つの意味が含まれていて、educationの意味もあるし、あとenpowermentの意味もあるし、更にLife-long learning、つまり「生涯学習」の意味が含まれたものが「buildning」なのです。このbuildningがあることによって、市民が成長していくことで社会も一緒に成長してく、社会が新しいフェーズへ行くのです。
スウェーデンでは労働者階級で生まれたとしても、そこから大学教授になるということも全然あるし、そういうキャリアステップを踏むなら一番良い大学に行かなきゃいけないというのが一般的な考え方ですが、スウェーデンだと今の首相の社会民主党の党首は、元々は工場で働いていたんです。今じゃ、党首になっていることがまさにそのことを象徴しています。
スウェーデンが学習社会になっていることについて、もう1つあるのは、この100年間をかけて政治的な改革をずっとしてきたからではないでしょうか。その中であるのは、日本と比べてスウェーデン人はそんなに働きません。そんなに働かないで生活できるような制度になっています。育児休暇もいっぱい取れるし、女性も出産して育児をしてから会社に戻ってきてもポジションがありますし、それを可能とする制度が整っています。
そういう政治的な改革をしてきたということによって、自由な時間を人々が享受できるようにしてきた歴史があります。やはりそれこそ自由な時間が無いと、人々が余暇活動や、何かを学びたいとはならないでしょう。夜23時に帰宅して、よしこれから学ぼう!とはならないでしょう?
スタディーサークルが無くても良いのかもしれないと言いましたが、無くてはならない存在となっているのはなぜでしょうか?
インフラを整えることをスタディーサークルはやっていて、それ自体が必要だということ認識しているから、今でもこれだけ重視されているんじゃないかと考えます。インフラを整えることで、人々が自発的に何かに貢献するという環境を作ることになるのではないでしょうか。それこそ場所の提供、財源の支援、組織運営の中間支援ということをやってこのようになっています。学習内容というのは、その時々で変わっていくというのはありますけどね。
聞いていくうちに、色んなところまでカバーしているすごく包括的な活動だな、と感じました。それならば逆に、スタディーサークルをしている人が成人人口の5分の1くらいではなくて、もっといてもよいのかな、と思いました。
残りの5分の4の人々は、どこにいるのか、もしかしてリーチできていない人がいるのか、別のことをしているのでしょうか?
答えにくいのですが、自分自身もこの地域の政治的な活動もやっていることもありますし、皆色々なボランティア活動をやりながらスタディーサークルをやっていることもあるから何とも言えませんが、やはりボランティア活動の人口もすごく多いです。ボランティア活動とスタディーサークルの関係は、スタディーサークルのインフラがあるからボランティア活動ができるということになっていますし、逆にボランティア団体がスタディーサークルになることもあります。そのような「共同」が起きています。
今は、世界的なトレンドでちょっと伝統的なボランティア団体が転換している時期にあるんじゃないかと思います。それこそ、何かキャンペーンをしたりムーブメントを起こしたいとなった時、これまでのスウェーデンだったら、人を集めてみんなでFIKA (スウェーデン語でお茶をするの意)をしながら話し合って、という感じでしたが、今ではFacebookグループを立ち上げてパッとやり、だけどすぐパッと消えるという風になったりしていますよね。
学びの場にいつも民主主義があるのはなぜか?
民主主義について聞きたいのですが、民主主義をどういう風に捉えていますか?学びの場にいつも民主主義があるのはなぜでしょう。民主主義的にスタディーサークルの運営を教える、というのはどんなことをしているのでしょうか?
スタディーサークル自体がそもそもオーガニック(手作り、地に足着いたもの)なのです。それこそ今、ここで私たちがスウェーデンのスタディーサークルについて学ぼうとしている、この状態が良い例ですし、ここに1人スタディーサークルにとても詳しい人がいて、それについて質問する人がいる、この質問者がいることによって自分も考える、このやりとりが起きる中で異なる意見が皆の中から出てきて、その1つ1つの意見が尊重されて大事だという風にスタディーサークルは考えているから、それによって新しい考え方が出てきます。
普通の人はそのようにあまり考えないのではないでしょうか。自分の意見なんてそんなに大事では無い、と考えているけど、スタディーサークルでは自分の意見、考え方ということ自体が尊重されるし、それが意見を言わなきゃいけないという風にもなっています。だから、スタディーサークルは民主主義の方法で、できているのではないでしょうか。
まとめ:人は自由な時間にこそ人と成る
この訪問を経て、スウェーデンのスタディーサークルの全体像が見えたような気がしました。公教育(学校)との違いとそこで大事にされている人々をエンパワメントするという本質的な価値観、そして民主主義の価値と方法そのものを体現しているもの、それがスタディーサークルなんだということがわかりました。
もう一つわかったことは、スウェーデンでこのスタディーサークルが可能で多くの人が参加しているのは、社会に圧倒的な「余暇の時間」があるからということです。日本では真逆で、そもそも働きすぎという問題もありますが、子どもも学校教育で忙しい、という事態が常態化しています。投票をしない理由が、「仕事で忙しい」社会では政治参加どころではないということがまさにこのことを象徴しています。 エンンパワメント概念の基礎を築いたのはジョン・フリードマンですが、その8つの条件の1つに「余暇時間」が含まれていることを忘れてはいけません。
自由な時間にこそ、人が本来的に何かを作り出したい、学びたいという欲求が出てくるのではないでしょうか。
別のスウェーデン視察でこんなやりとりがあったことを思い出しました。
スウェーデンの首都ストックホルムの中心街の文化施設内にある図書館併設型のユースセンターLava。1等地にありながら14歳から25歳の若者しか利用できない「若者だけの空間」。読書のみならず、音楽製作、デザイン、Tシャツ作り、3Dプリントなどあらゆる創造的な活動ができるようになっている pic.twitter.com/TYMVouTzqG
— 両角達平/スウェーデン🇸🇪若者政策の研究者 (@tppay) 2018年9月14日
日本人の視察団からの質問と、ミュージシャンでありここの職員のデニスとのやりとりがおもしろかった
質問: なぜ(教育ではなく)文化や創造的な活動が大事とおもうか?
職員: 人間には本来的にゼロから何かを作り出したいという欲求があると思うからです
— 両角達平/スウェーデン🇸🇪若者政策の研究者 (@tppay) 2018年9月14日
質問②: 若者による文化・芸術的な活動はどのような「効果」がありますか?
職員: 色々な効果があるでしょうがそもそも文化・芸術活動をそのように政治的に考えたくありません。なぜならこれらの活動自体に価値があるからです。文化政策のinstrumentalism を爽やかに批判した職員に拍手を送りたい🤗
— 両角達平/スウェーデン🇸🇪若者政策の研究者 (@tppay) 2018年9月14日
とかく、子ども若者の文化・芸術活動って就労支援や教育の文脈だと「効果」が低いものと考えられがち。しかし、文化芸術が大事にされるヨーロッパではこれが愚問であることに気づかされる。文化・芸術は、人間らしさそのもの。つまりぼくら日本人はいよいよ、人間らしさを失いつつあるのかもしれない
— 両角達平/スウェーデン🇸🇪若者政策の研究者 (@tppay) 2018年9月14日
人間らしさとは何か、それを可能とする社会とはどのような社会か、そんな問いに今まさに向き合うときにあるのではないかと、考えさせられた訪問となりました。