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海外への教育視察を「視察公害」としないために

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最近は、海外の教育の見学を目的とする「エデュ・ツーリズム」があまりに拡大してしまって「視察公害」といわれるような現象が起きています。視察者が現地を「踏み荒らして」、視察先には何ももたらさないということです。そうしないためにこちらの記事で紹介されている、イタリアのレッジョ・エミリア市の取り組みは画期的です。

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同記事では、フィンランドへの教育視察が過剰化し、⼀部⾃治体では学校間の取り決めを作り、訪問者の受け⼊れを制限するようになったことが報告されています。

北欧への視察が過剰化には注意する必要があるでしょう。受け入れ先は、善意でやってくれることが多いので、こちらが何ももたらせないとただ申し訳ないだけです。そういう意味で視察料をしっかりとるなど、何かしらの取り決めがあるところは、受け入れ体制もあってパートナーを組みやすいです。

海外の教育視察の「民主化」がもたらしたイノベーション

だからといって海外への教育視察は否定しません。海外への教育視察はこれまでは行政官や大学の研究者、留学生に限られていました。しかし、航空券が格安化し、英語がリンガ・フランカとなることで国際交流が「民主化」し、多様な人が海外への教育視察をできるようになったのです。

ここでいう「多様な人」とは、ソーシャルセクターでの現場実践者や政治家、教育者など、日本の現場を持つ実践者が含まれます。チェンジメーカー達です。そういう方たちが、海外教育視察をできることの意義は計り知れません。なぜなら、実践者の視察は単なる研究記録や「レジャー」で留まることは少ないからです。

このイノベーションはとても大きいと思います。伝統的な海外視察の中には、散財目的の「娯楽」も含まれていたでしょう。海外視察で豪遊する議員がいたこともかつて話題になりました。7泊9日で (視察時間は9日で4時間..)参加者は6名で、990万円を使ったとかどうかしています…。

このような参加者はほとんどいないでしょうが、現場を持ちながら活動をしている人は参加意欲は高く、インパクトも期待できるのでコーディネートも快く引き受けることができます。

これからの海外視察

一方で、多くの人が海外教育視察の素人であることもまた事実です。言語、海外渡航、文化の相違など多くの障壁を乗り越えないとできないものです。だから、事前の準備とコーディネートがとても大事になります。「現地の通訳者さえ雇えばいい」という発想は大間違いだし、それでは誰も幸せにならないどころか、まさに「視察公害」となってしまいます。

これらを踏まえて、これからの「エデュツーリズム」で重要となるのは、

・視察側と視察先の双方にとってメリットのある視察をどうコーディネートできるか

・そこには費用負担は当然として、現地の視察現場にいる子どもや若者、職員の方や関係者に、何をもたらすことができるのか

という視点が不可欠になるかと思います。

そして一方的な視察を→(双方向的な)交流へと格上げし、単発的なものでなく持続的な関係を結んで、双方で受け入れあえるようになることが理想のように思います。

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