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なぜ若者議会につける予算は1000万円なのか?:若者の政治参画 マイノリティーの声も社会へ ④

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先日のこちらの投稿に続き、今回もまたSJF アドボカシーカフェの講演録をアップします。今回は、両角と穂積市長の講演後の質疑応答の時間です。

初回からご覧頂きたいからは、こちらの記事からどうぞ。

それでは参加者からの質問、感想の共有の様子を以下からお届けします。

――全体共有&全体対話――

グルー対話から生まれた感想や疑問、論点になりそうなことを付箋紙に書いていただいて、全体で共有し、ゲストからコメントいただきました。

なぜ若者議会につける予算が1000万年なのか?

みなさんから集めましたご質問をかいつまみながら、僕から質問させていただきます。場合に応じては会場からご意見をいただければと思います。まず穂積市長への質問が非常に多いのですが、

なぜ1千万円なのか。1千万円は出しすぎではないか

という意見がまずあります。この点についてはいかがでしょうか。

みなさん「政治参加」、「住民自治」といったことは、肯定的にとらえていただいている方たちばかりだと思います。NPO活動にしろ、いろいろな住民団体にしろ、行政あるいは政治に参加するという時に、予算が付いていない、事務局は行政が完全に握っているという場合には、どんなに良いことをやろうと言おうと、それは形ばかりに終わるというのが実態だと思うのです。予算というものを使う権限あるいはアクセスする環境が作られているかどうかが実は非常に大きなポイントだと思っています。

1千万円という額はどうだろうか。いま私どもは市を10の区域に分けて、地域自治区というのをやっています。地域自治区には自治区で決める予算、地域の住民活動を支援する地域活動交付金を地域自治区自身が決める仕組みがあり、総額で1億円とっています。人口や面積で10の地域自治区に配分しながらやりくりしています。

やはりある程度かたちにしていくためには、一定の予算をとっていくのがどうしても必要だと思って取り組んでいます。どうでしょうか。高校生にとっては、1千万円は非常に大きなお金です。教育委員会と若者がもう一回協議した結果を聞いてみたら、教育委員会の人から「君たちな、1千万円の予算をもらっているけどな、われわれは学校で10万円の予算をとってくるだけで大変なんだぞ」と言われて、逆に言うと、若者たちが自分たちが扱っている1千万円とはどういう意味なんだと考えるきっかけになりますから、プレッシャーにさらした方がよく、いろんな世代との意見調整や利害調整が必要なんだと自覚する仕掛けとしては決して高いことではないと思います。

財源以外に、若者が影響力を発揮できるところは?

ありがとうございます。これは両角さんへも共通している質問だと思います。

若者の影響力を発揮できるところは1千万円以外のところであるのか

という質問があります。予算1千万円のなかだけしか若者が市へ意見表明できないのではないかと。例えば新庁舎をつくるなど大きな政策に対して、また他の基幹となっている政策に対して若者が参加をしたり影響力を持ったりというのは、1千万円以外のところで新城市で行われているのか穂積さんに伺ってよろしいでしょうか。

若者議会のほかに中学生議会をつくっています。年に1度ですが、中学校代表者が議場に来ていろいろなことを質問します。それは、もともとは東日本大震災の後にいわゆる節電が出てきて、中学校単位でも「君たちはこの時代に何ができるか考えてくれ」と、「中学生環境会議」と称して始まりました。その後、中学生議会も定例化していきました。そのなかではいろいろな要望が出てきます。道路の問題や街路灯が少ないなども含めて出てきます。ですからチャネルは多様に開いているし、他の市政へ参画するきっかけは多様につくられていると思います。

いま出た「若者議会以外のところで」ということになると、若者議会というものに関わらない若者層たちの問題、それから若者議会ではどうしても市政に対してあまり批判的なものは出にくいのが実際ですから、いろいろな問題――庁舎で反対運動が起こったり産廃反対運動があったりしますが、そういったもの――への若者のアクセスはどうなのかという議論はいまも続いています。そういう状態だと理解いただきたい。

スウェーデンでのユースカウンシルや若者組織に予算がついて活動すること以外に、若者が影響力を与えていくことはあるのか、両角さんにお伺いしたい。

ある学校では、授業のカリキュラムを自分で決めることをやっているところもあります。どうやって学ぶのか、何の課目を学ぶのか、誰と学ぶのか。自分で学びを評価したり。ただスウェーデンは学校教育が多様なので一概には言えません。

議会以外の場における若者のためのプロジェクトにちょっとした規模のお金を出すというのがあります。ストックホルム市では、若者政策課はまちづくり課のようなところに入っていて、その文化委員会に入っています。そこではアート活動などで1カ月から2カ月間ぐらいのものに、クイックマネーを出すという制度を取り入れました。予算規模ですと数万円程度ですが。また、単発的な予算で対応しているものもあります。

学校外では、若者団体やスタディーサークル。スタディーサークルというのは、スウェーデンの伝統で若者運動の流れの中で広がった活動で、勉強会をやるのですが、勉強会の方法それ自体を民主的な方法でやっていくと。みんなで何の勉強をしてどう勉強するか決めていく。また、民主主義的な方法に基づく運営方法についての講座をとった人でないとスタディーサークルのリーダーになれない。それも参加だと思っています。そこの場において発言することが、そこのグループで自分の影響力を高めること、それが自分自身への影響力を高めることになりますし、小さい社会から大きな社会への影響力を高めることになると思います。

若者議会の設置は自治体に義務づけるべきかどうか

この質問の意図を私が汲み取ったものとしては、子ども議会や若者議会が大人の手の上で転がされているのではないかということも指摘としてあると受け取っています。例えば、まちのなかで起こっている論争的なテーマに若者や子どもがどのように意見を表明していくのか、影響力を持っていくのかということについて、1千万円の予算の範囲以外のところでの参加についてのご質問かと思いました。スウェーデンだったら政党青年部もあるので、そこでは政治的テーマについてもあるかと思いますが、そうした論争的なテーマに対する意見表明はどうなっているのでしょうか。大人が枠組みをつくって子どもが参加をしていくというのが、従来の日本の子ども参加や若者参加だったと思うのですが、スウェーデンではどうなっているのでしょう。

そういうところもありますし、そうでないところもあります。若者議会の設置を自治体や国に義務付けるという論争が1990年代にありましたが、結局無しになりました。それは、設置してしまうと、その地域で若者を無理やりでも集めてやっていかなければいけない、それこそ主体性を損なうものになるよね、ということがあったからです。というのは参考になると思います。

次の世代へどう繋げるか?

継続性への視点からの質問が他にありました。例えば、市長が替わってしまうと政策としての継続性が無くなるのではないか。あるいは、スウェーデンのユースカウンシルでも、非公式の団体もあるということでしたが、日本の学生団体だと3年するとつぶれるという話がよくあるのですが、そういう若者主体の組織の継続性について、まず穂積さんから。

「市長が替わったら」という議論は若者政策を始めた当初からありました。当の若者たち自身が若者議会をつくりたい若者政策をやりたいと先述の竹下君たちが頑張っているときに、市の担当職員に「これって、市長が替わったらどうなるんだろう」と聞いたら、「そのリスクはあることはあるが、条例をつくると、それは自治体の法ですから法制度になる」と言われ、「条例にしてください」となりました。そして「若者政策条例」、「若者議会条例」ができました。

条例は自治体の意思なので、これを廃止しない限りは続くことになります。もちろん市長の政策の重点が変わったり、形はあるけれども今ほど力が入っていないということは起こるかもしれないと思います。それはやむを得ないと思います。どんな政策でも時代の変化のなかで洗礼は受けますし、民意が変われば政策も変わっていきます。そういう意味では、他の政策課題と何ら変わらないと思います。

継承という意味で、若者議会の任期は1年と決めています。再任を妨げないという規定はあるのですが、今のところ1年で全部変わっていくということを続けています。というのは、一回すごく熱心なグループがいた時にできたことなのですが、それが続くかどうかが若者議会の肝ですから。若者という世代は成長する世代だから、いずれは大人の世代に入っていく。その次の世代に継承されなければ若者議会・若者政策と銘打つ意味自身がないわけですから、継承性をどうするかは、やっている本人たちが最初から意識しているのが若者議会だと思います。それは学校の部活と同じです。「強い3年生がいなくなった後どうなるの? 次の1年・2年を勧誘して来ようよ」となって、それが一つの自律的な継続の力に組み込めるかどうかですから。やり続けていくしかないと思います。

国が予算を若者団体に 継続性を担保するスウェーデン

継続性・持続性がスウェーデンの若者団体にはすごくあると思います。先述の全国の若者団体を集約しているSUという団体は1960年代からありますし、生徒会の連合組織も50年以上長く続く団体です。日本は安保闘争などがあって若者団体がつぶされましたが、それがスウェーデンにはなかったわけです。

それ+αで、若者団体の継続性に担保をつけるため予算をつけようと国レベルで1990年代からしていくとなりました。若者団体を長くやるのは大変です。若者世代はいろいろなところを行き来して流動性が高い世代ですから。僕も日本で若者団体をやってしていましたが、日本だとお金がないし、最近ではミーティングする場もなくなってきました。スウェーデンでいろいろ話を聞きますと、この活動のしやすさの違いは何なんだろうと思います。

圧倒的な暇がスウェーデンにはあります。若者団体が余暇活動をやっています。大人は成人の生涯学習の一環として余暇活動をしています。仕事や学校の授業が昼間ありますが、その後の時間が圧倒的にある。日本は仕事や学業で忙しい。

時間政策がヨーロッパで議論されていて、人間らしく生きていくという視点があります。これが日本にはないのかなと最近とくに感じています。これも若者政策に関わることかと思います。

若者や子どもと関わる時の大人、市の職員さんの役割はどうなっているのか

新城市の若者議会を卒業したメンバーが、高校生だけが参加できる場がないということで、東三河ハイスクールミーティングという若者団体を自分たちで立ち上げて、静岡に高校生たちだけで視察に来て交流しました。一方、若者議会はメンバーが1期で入れ替わって卒業したらどうなるのだろうと思っていたのですが、自分たちで活動しているという広がりも出ているのが印象的です。高校生たちから話を聞くと、メンバーの確保が大変だったり、今は盛り上がっていても卒業したらどうなるのだろうという不安もあったりとのことでした。子ども議会や若者議会はどうしても忙しさがまとわりついてくるなと実感しています。

もう二つほど大きな点。

まず、若者や子どもと関わる時の大人、市の職員さんの役割はどうなっているのか。メンターですとか。これは職員さんに答えていただいたほうがよいでしょうか。

(白頭さん・新城市企画部まちづくり推進課/若者議会事務局)
職員の役割、大人の役割は日々、自問自答させていただいているところです。若者議会では、委員を卒業するとサポーター、メンターとしてサポートする側に変わりますので、委員をとりまく人口は増えていきます。その中で私が個人的に重視しているところは「大人の本気を見せる」。若者が本気になるのが先か、大人が本気になるのが先かは難しいところがあると思いますが、私が関わる姿としてはこれを一番重視しています。

若者がどういうモチベーションで参加しているのか?

もう一つ、若者がどういうモチベーションで参加しているのかという質問がありました。現場で関わっておられる職員さんいかがでしょう。

林さん・新城市企画部まちづくり推進課/若者議会事務局)
最初の段階はみんな不安で何をしてよいか分からないところがスタートかと思います。でも同じ意識で入ってきた子たちですから、仲間ができていき、みんなで切磋琢磨していく中で成長していくような感じで、一歩下がって見させていただいているようなところはあります。自分が事務局になった最初の年度は、「この子たちうらやましいな。自分が高校生だったらやってみたいな」とこちらが嫉妬するほどでした。

実際に一緒に成長していく部分もあると思います。若手の職員の方も地域の若い子たちと一緒に考えていく中で自分たちも成長することができますし、若い子たちも成長できているのではないかなと感じています。日々勉強させていただいています。

若者議会だけでいいのか?

「若者議会だけでいいのか」というような質問がありました。今後のビジョンを含めてお二人から。

若者議会だけでいいのかとはどういう意味でしょうか。

(質問をした参加者)
若者の政治参画ということを大きくとらえると、若者に限らず、政治参画や市民参画というのがそもそも基本にあって、その中で若者は一つの年代層にすぎないと思います。今回は若者にフォーカスした話だとは思いますが、他の年代の政治参画や市民参画はうまくいっているのか確認したかったのです。

ありがとうございます。若者議会ができあがるのに先行して、地域自治区制度をつくってきました。自治基本条例もつくってきて、総合計画の第1目標は市民自治社会の創造を謳っておりまして、いろんなチャンネルを通して市民自治を深めるということで、この間まちづくりをしてきました。そのベースの上で初めて若者議会が花開いたと思っています。それがなかった場合には若者議会を立ち上げることは、たぶんできなかったと思っています。先述のように「若者だけに1千万円なんてどうなのか」や「議会軽視ではないか」という議論が必ず出ますので。若者だけにその課題や負担を集中するような政策であったなら、若者議会は立ち上がることすらできなかったと思っています。それを受け入れる市民自治の気風や土壌をどれだけつくられたかは新城市はまだまだ途上ですが、それと一緒になって進んできたということがあります。その点はご理解いただきたい。

それから、若者議会以外の政治的争点になったような課題はどうなのかについて。これも若者議会だけがチャネルではなく、例えば「若者議会は市長の言うなりの議会ではないか。市政に対してもっと物を申す若者集団が必要なんだ」と批判をされる場合もあると思います。それもO.K.ではないかと思うのです。そういうのが出てくるのは若者議会というベンチマークをつくったからであって、そこを標的にまたいろいろな議論が起こることが取りも直さず「まちづくり」なのではないかなと思います。

年齢での差別を禁止するスウェーデン 立法過程に市民として参画できるかで異なる若者の幸福度

スウェーデンには差別禁止法があります。また学校教育基本法のなかで、差別や不当な扱いを禁止する法律があります。そのなかで「以下の点での差別を禁止する」ということをいっています。そこに出てくるものとして「性差、宗教、人種、身体障害」などのほか、「年齢」があり「若者政策」もそこに該当すると思います。

要は、あらゆる不当な扱いをしないそして平等な扱いをするということがスウェーデンの民主主義の肝になると思います。そのなかで出てきた一つの属性が年齢であって、そのなかの一つが若者であったにすぎないと思います。民主主義という包括的な政策をつくっていく中で起きていることの一つの部分だと思います。スウェーデンはこれ以外の部分での市民参加が進んでいます。例えば、全国の障害者団体がステークホルダーとして集まり、国がある法律をつくったら登録されている関係団体全てから意見を聞いてポジティブな了承を得ないと法律ができないことになっています。これが若者政策でも起きていますし、いろいろな分野で起きています。

最近チェックした若者幸福度調査、CSISというアメリカ・ワシントンにある研究所が出している世界の若者の幸福度状況を調べるという調査があります。その中で市民参加状況という項目があり、スウェーデンと日本で大きな差があります。その項目の一つに、立法過程における市民の参画があるかというのがあった。こういったことが国レベルで出来ているというのは大きな違いだろうと思います。すべての属性における参画ができる社会にしていくということは忘れないようにしたいと思っています。

若者が意見表明する場づくりのためのハンドブックが完成

今日は、NPO法人わかもののまちの日本ローカルユースカウンシル・プロジェクトの一つとしてアドボカシーカフェを開催させていただいております。

私たちの大きな問題意識の一つには、行政や大人が枠組みを設置しないと若者が意見表明をする場が無いという日本の現状があります。例えば、静岡の若者が(新城のように)若者議会をいいなと思ってみても、静岡には無いわけです。それはおかしいことだと思いました。子ども議会や若者議会を子どもや若者の自主的な組織として位置付けるのであれば、子どもや若者が自らどうやってつくればよいのかという考え方や方法を、スウェーデンでユースカウンシルをつくっているのを参考にしてハンドブックにしたいと考えました。ヨーロッパに行くと、そういったハンドブックが大量にあって、それを参考にいろいろな方のお力をお借りしてハンドブックをつくっています。

今年の7月にはリリースフォーラムを開催する予定で、ヨーロッパから実際にユースカウンシルの活動をしている方を招致して、静岡・東京・京都の3地域で開催する予定です。ご参加いただければと思います。クラウドファンディングもしてみなさんのお手元に届けたいと思っていますので支援していただければと思っております。
ありがとうございました。

(全体終わり)

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