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教員や支援者を「偶像化」してしまうとき——教師と生徒、支援者と当事者の距離について

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教員や支援者に対して、強い憧れを抱くことがあります。
でもそれが「偶像化」に近づくと、関係は対話ではなく依存に変わってしまうことがあります。

教員や支援者に対する憧れという感情

教育の現場では、教師と生徒の関係の中で、教員に対する強い憧れや敬意が生まれることがあります。また福祉の現場でも、かつて支援を受けていた人が、元支援者に対して特別な思いを抱き続けることがあります。それ自体は、とても自然なことですし、ありがたいことでもあります。

ただ、それが「崇拝」「生きる目的」に近い形にまで強くなってしまうと、かえってコミュニケーションが難しくなることがあります。

教育や福祉の関係に必要な「対話できる距離」

教育や福祉の現場は、完成された誰かを見上げる場というより、将来どこかで一緒に悩み、協働するかもしれない人同士が出会う場でもあるからです。アイドルや偶像が「距離」によって成立するのとは違い、ここでは「同じ未完成な人間として関わる距離感」が大切なのだと思います。

教育や福祉の関係で大切なのは、近づきすぎることでも、遠ざかることでもなく、「対話できる距離」を一緒につくることです。敬意と対等さが同時に成り立つ関係を、どう育てていくかが問われているように感じます。

「移行対象」という心理学の概念

ある意味、誰かを偶像化することは、依存の一形態とも言えるかもしれません。心理学では、こうした関係を説明する概念として「移行対象(transitional object)」という言葉があります。これは精神分析家ドナルド・ウィニコットが提唱した概念で、幼い子どもが不安を和らげるために大切にするぬいぐるみや毛布のような存在を指します。子どもはそれを通して安心感を得ながら、少しずつ他者や社会との関係を学んでいきます。

参考図書

偶像化が生む依存と権力関係

もちろん、人間関係そのものが単純に移行対象になるわけではありません。ただ、誰かを強く理想化し、その人の存在に心理的な安定を依存してしまう関係は、この概念に近い側面を持つことがあります。

それはときに「消費」の関係にもなり得ますし、結果として権力関係を明確化し、固定化する方向にも働きます。少なくとも私自身の価値観とは、あまり相性のよいものではないと感じています。

もちろん、誰かを尊敬したり憧れたりする気持ちそのものは、人が学び成長していくうえでとても大切な感情だと思います。教育や福祉の関係は、偶像をつくることではなく、対話できる関係を育てる営みなのだと思います。

なお、こうしたことを書いている背景には、実際に学生との関係の中で感じた出来事もあります。ただ、それは特定の誰かを批判したり評価したりするためのものではありません。教育や福祉の現場では、多くの人がどこかで経験する可能性のある関係のあり方について、自分自身も含めて考えてみたいと思ったからです。

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