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山崎 亮さんが語る、コミュニティデザインは「人をつなぐこと」である理由

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こう始めたのは、コミュニティーデザイナーの山崎 亮さんだ。ゼミの講演会で静岡県立大学に招かれていたのだ。

※以下は講演時のメモの文字起こしです

 経歴

  • 緑茶計画工学を学ぶ。墓地をどのように配置すればすみやすくなるか。関心が地域の「中身」へ
  • 留学して、メルボルン大学で地域の「中身」を学んだ。
  • 地域全体の生態系を学ばないと地域はよくならないと認識し、大学院では地域生態工学を学ぶ
  • 就職先は建築プラスランドスケープ設計事務所。事務所でワークショップなどを実施

建築、ランドスケープに入ったきっかけ

  • 当時のボスが建築設計事務所を設立していたときそこで修行をしようと思った。ボスは、奥さんに怒られながらデザインしていた。その奥さんはマーケティングを学んでいたのでユーザーを重視していた。
  • 結局、奥さんのもとで働くことになった。奥さんは計理を担当していたが、儲からない建築設計事務所を変えようと思い、ユーザー重視の建築設計をするようになったら、いつのまにか有名になった。
  • 独立した時に2つの道の選択を迫られた。ひとつはこれまで通りに建築家の巨匠を目指してモダン建築をしていく道。もうひとつの道はユーザーの声を反映させるためにワークショップを用いた建築設計。ワークショップをやるといいチームなかまが一時的にできるが、解散したらそれで終わってしまう。このパワーを活かせないか。コミュニティを作って今までどおりで知らなかった人がつながってチームになって、出来上がった空間で活躍していくことが仕事にならないかと思った。この過程が楽しかったからのめり込んでしまった。 磯崎 新さんのような人になりたかった。安藤忠雄さんもしかり。なんどもこっちの道に戻ろうとしたが、ついつい引き戻された。
  • それで仕事を引き受けるうえで、設計とワークショップを分けることにした。ワークショップしかやらないと宣言した。そうしないとワークショップと設計とセットで依頼されてしまうのであった。
  • 風景とは、結果。そこに住む人たちが変わらないと風景は変わらないのではないか。人々のながりや生活を変えていってその結果である、風景を変えて行こうとなっ た。
  • 2010年までランドスケープデザイナーと呼ばれていたが、マルヤガーデンズというプロジェクトからなのれなくなった。商業の間に地域のコミュニティが入ったらどうか→コミュニティと言えば山崎。屋上庭園と壁面緑化をしていた人がたまたま山崎さんという名前だったので都合が悪かった。ここでコミュニティデザイナーという名前でメディアに出すことになった。
  •  2010年にテキストランドスケープデザインの歴史を出版。翌年、コミュニティデザイン―人がつながるしくみをつくるを出版

日本におけるコミュニティデザインの歴史

  • 1960年代はニュータウンの住宅配置計画→コミュニティデザインセンターやコミュニティデザインプラザが誕生
  • 住民がいかにしてコミュニケーションをとるような空間になるか、というコンセプトだった。60年代でも取り上げられていたが、住宅の設計図ばかりだった。
  • 公共施設のデザインをコミュニティとともに進める。
  • 住民参加によるデザインを
    • コミュニティアーキテクト=住民密着型の建築家→地元密着型のデザイナー

コミュニティデザインって?

  • ひとのつながりをつくり、課題を乗り越える力をつけること
  • チームビルディング、コミュニティエンパワメント
  • 地縁型→テーマ型、共益型、利益型
  • 自治会、サークル、NPO、企業、大学、デパート
  • コミュニティデザイン>まちづくり(多様なコミュニティデザイン)
  • コミュニティデザインデザインを=×チームビルディング(計画策定などを)
  • 学科のコミュニティデザインを頼まれた 。教授はやりたいことばっかやっちゃう。学生のためになる大学になりにくい。大学というコミュニティの活性化のために学科の運営を委託された。幅広く学生や教授や利用者の声を聞いたりしている。
  • まちづくりは企業NPOとつながってどうやってハードを活性化していくかいうケースが多い。コミュニティデザインはもっと広い。
  • チームビルディングは企業の中身で最高のパフォーマンス、利益を達成するためのチーム作り。コミュニティデザインは関係性づくり。

コミュニティデザインのステップ

  1. その地域のコミュニティを理解する
  2. 徹底的にヒアリング 友達になってワークショップに誘う
  3. 担いてとしての主体者意識を高める
  4. 信頼感を高め組織化する
  5. 初動期の活動をサポートする
  6. お金、技術のサポート最初だけ

ポイント

  • 基本的にケースバイケース
  • しゃべる側の主体によってキャラを変えていかなければいけない。年寄りの多い地域だったら横文字も使えないし、ゆっくりしゃべることになる。
  • 集まった対象の主体によって方法も変えなければいけない。
  • 10人〜400万人まで規模はピンキリである。
  • コミュニティデザインをすると、すでに集まっている人隊が集まるとパワーアップする。それぞれのできることがさらにパワーアップ。今までなかったつながりができると、弱いつながりができて、相談してみたくなる関係性ができる。励ましてくれるひとがいる。これが多数ある状態。
  • いえしまプロジェクトの紹介

質疑応答

Q:まちづくり、コミュニティデザインに関して 行政に求めるものとは?

  • 行政の速度を上げること。公共的な事業は今まで行政がやることだった。しかし予算が減ってきたなかでは住民が鍵となる。住民の速度は上がってきたが、行政が住民に参加する速度があっていない。 共同でできない。住民が参加する速度に行政が合わせることが大事。行政は決済の書類だけで時間がかかる。住民が立ち上がったその時にノコギリ20本を直ぐに渡せば全部きれているはず。しかし、行政はリスク考慮、手続きで遅れてまうことが多々ある。
  • 特別な予算枠を準備しておく。課が担当で決済できるような仕組みがあればよい。予算の仕組みをフレキシブルにすること。
  • 民間とタッグを組むこと。行政職員がワークショップをやろうとすると立場が影響し、関係づくりがうまくいかない。

Q:失敗することはないのか。 お金の面など

  • 不安はあった。食べていけないと思っていた。失敗になりそうだったらそのプロジェクトがリカバリーできる活動に方向転換する。
  • 離党の復興計画in笠岡諸島で前にやった同じやり方でやろうと思ったら、島の大人たちのやる気がなさすぎた。なので、子ども14人と総合計画をつくって提出した。こどもの言葉で提案して、10年かけて毎年大人が実施しているかどうかを点検する。もし十年間やっていなかったら島に戻らないという条件でやったら大人は本気になって、公民館活用ワークショップとかやるようになった。こどもの笠岡諸島進行計画書にはこどもの言葉を行政用語に変換して掲載している。

Q:ヒアリングでは膨大な情報が入手できると思うが、それをどのように整理し行動に移しているか?

  • 自分自身も整理できていない。意見も集約の仕方も人によって異なるが、建築をやっていたのでその影響が多きい。建築とはアーキテクチャーという。これは多くの技術を統合する職能。ギリシア時代の概念。
  • いま、Techneになにを代入すべきか。数あるTechneをひとつに統合すること。最適化されるArche-Techneを作ること。八百屋のおっちゃん、行政の意見をどう取りまとめるか。取りまとめることを変えれば良い。それを判断するバランス感覚が必要になってくる。化学反応。

Q:仕事が山崎さんのパーソナリティに依存していると思うが、それについてどう思うか。自分の活動をどのようにアピールしてきたのか。

  • 結果としてそう見えているだけではないか。例えば、事務所の1人は僕と全然違うが、多くのコミュニティデザインを成功させている。コミュニティデザインができるようなるためにはグラフィックデザインだけでなく、ファシリテーションもできるようにならなければならないが、口下手な彼は、板書で意見をまとめることで意見を統合している。 それぞれのやり方があるだけで、だれでもできるのではないか。
  • コミュニティの活動を発信していったら自分たちの活動を知ってもらえた。この種の「仕事」自体を売り出していくことが重要だと思い、メディア発信を覚悟した。こういう仕事をできる学生を育てていきたい。全国1700の自治体がある中で自分たちだけでなく担える人が増えていかないと、とてもじゃないが回っていかない。

Q:行政が携わる機会が多いという話があったが、企業が携わる事はどれだけあるか。

  • マルヤガーデンもその事例。マンションを売り込む企業から委託もあった。これまでは広告費に予算をかけていたが、ここに住むことになった人が将来得る利益に予算を割くようになった。講座付きのマンション販売など。最近は、モデルルームを作る前にワークショップをやったりしている。そうすると本気で買う人が残って、他の人を誘ってどさっと買ってくれる。

マルヤガーデンの紹介 

マルヤガーデン

  • もともとは丸屋デパートとして1961年に始まった。1983年に三越と業務提携。天文館という商店街に人がこなくなってしまい、三越が撤退。ここから始まった。
  • 各階にコミュニティを導入。テナントの魅力とコミュニティの魅力を統合。一般のお客様がお得意様になればいいが、そもそも一般のお客様がこなくなった。それで従来は来なかった人に対象を広げて、コミュニティを対象とした。それで調べてみたら地域で活動する50団体が 出てきた。話を聞きに行って誘った。
  • 集まったコミュニティとともに、マルヤガーデンの説明会を開催。ワークショップではコミュニティデザイナーとなる丸屋のスタッフが各テーブルでファシリテーターをした。
  • コミュニティとテナントがつながることもあった。コミュニティで出店している店が隣の服屋の社長に気に入られて、その店の一部で出店することになったことも。
  • 不登校の児童支援の八百屋。はじめは見た目がわるかったが、建築学部の学生を派遣したら改善され、児童の自信もついた。

Q:学生を使ったプロジェクトを紹介してください。

  • 探られる里プロジェクト。試される大地を参考にした。大阪府止々呂美地域。
  • 部会長の奥さんと友達になるために、学生を派遣した。
  • 学生には中立の立場として地域に踏み込むことができるので、協力を要請することが多い。

※記述内容は筆者の講演解釈です。静岡県立大学国保先生より投稿許可いただき済みです。

【山崎 亮さんの書籍】

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