経営学が日本のソーシャルセクターを解体したのでは

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スウェーデンのソーシャルセクターのことを知れば知るほど、(企業の)経営学をこのセクターに当てはめることが無理ゲーだったんじゃないかと思ってくる。日本のNPOやソーシャルセクターが「事業型」の諸悪の根源ってこっから来てるんじゃないかな。

じゃあピーター・ドラッカーはどうだったのかとなるけど、今のアメリカがどうなっているかをみれば明らかではないでしょうか。小さな政府で「公助」の小さいアメリカはそれでも寄付文化もあったのでこれまではなんとかなったけど流石にガタが来ている今日この頃。

ようは市民社会は、「個々のサービスや事業体ベースで社会問題を解決します!」というアプローチにより、社会問題と事業体、被支援者と支援者を明確に分断化してしまった。事業は英語だとService ですが、Service概念がビジネスで、User (利用者)とServer (事業者)を明確に分ける。(イギリスでは、ユースワークももともとユースサービスと呼ばれていましたが、「サービス」化への懸念からユースワークになったと言われています。)

市民活動においては、利用者と事業者、つまり被支援者と支援者が明確にわけらることが常である訳ではなく、むしろ当事者の強みを生かしたソーシャルワークやケア、「利用者参画(User Participation)」が個人と共同体のエンパワメントに繋がった。この「市民社会観」の有無が、日本とヨーロッパで大きく異なり、また国内でも理解している人とそうでない人で言葉が通じないことがよくある。

市民社会のビジネス化、消費化の弊害はもうあちこちで出ている。

Partly Edited by

Takayuki Miyadera

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