先日、ある本の一部をTwitterに投稿しました。
参加型の教育をしている国ランキング。37カ国中
1位:スイス
2位:デンマーク
3位:スウェーデン日本は35位。 pic.twitter.com/OIrLKLREv8
— 両角達平/スウェーデン🇸🇪若者政策の研究者 (@tppay) 2019年1月25日
出典はこちらです Stefano Bartolini の 幸せのマニフェスト: 消費社会から関係の豊かな社会 https://amzn.to/2HHzlY6
この本で紹介していたこの表は、Gaël Brulé, Ruut Veenhoven のParticipatory Teaching and Happiness in Developed Nationsという論文に掲載されいているものです。
参加型教育とは?
参加型教育とはグループワークなどの生徒同士の協働が多い教育です。参加型学習ともいわれ、学習している本人が学習の過程に、参加することを促す形態のことだといわれます。これを「水平型」ともいいます。
反対の「垂直型」の教育とは従来のように教師が講義をして、生徒に質問を求め生徒がノートをとったり、教科書を読んだりするタイプの教育です。トップダウン型ですね。
この水平型(参加型)と垂直型(トップダウン型)の教育を軸にして参加型教育指数(IPT)に落とし込み、先進国間でどのような偏りがあるかを調べ、その結果をランク付けしたのが先ほどの画像です。なお、参加型教育指数に使用したデータは、Civic Education Study (CES)とTIMSSの調査から抽出したものだということです。
その結果が、最初に紹介したこちらの表になります。

参加型教育ランキング
日本はとても低く、スウェーデンはとても高いことがわかります。
世界各地の参加型教育の様子
この結果に様々な声が寄せられました。
賛否両論で、実際に海外で体験した参加型教育を寄せてくれた人もいました。
同じ北欧でもフィンランドが意外と低いですね!
そしてフランスの順位の低いこと!!フランスの教育、かなり厳しいと聞いたことがあります。。— pco@書きかけなんです…安上がり寄り道紀行 (@hurra_pco) 2019年1月25日
これも初めての授業でカルチャーショックだったわ。
大して英語出来ないのに、グループワークして発表する授業が沢山有って笑— たつお (@Ryo_Tatsuo) 2019年1月25日
んー。参加型はそうだけど、頭の良さやそれを生かした社会の貢献度はどうなの?
— 桜木朝陽 (@MwI20kAaqmCrVhz) 2019年1月26日
スウェーデンで実際に働いている者としては、参加すりゃいいってものでもないと思う。会議でみんな好き勝手に発言できる自由は担保されているが、その分まとまりにくい欠点もある。特にバカがグイグイ発言してくる時は最悪。「お前は黙ってろ!」と言ってはいけない国。日本のやり方も悪くはない。 https://t.co/kz15koKoFg
— Tomoya Yoshizawa@エンジニア兼事業主のスウェーデンライフ (@livinnovation) 2019年1月26日
両角さんのこのツイート、めっちゃ話題になってますね!
僕はデンマークに留学したときこの参加型の授業にめっちゃ期待して行ったんですが、実際には日本と何も変わらない講義形式でした笑
たぶん理系+大学院だったからですね。北欧の参加型教育というのは初等教育の話なのかも。 https://t.co/gScHD2wcCx
— まえけん@ドイツ🇩🇪理系留学中 (@lithiumspace) 2019年1月27日
今でも忘れない。
デンマークのフォルケホイスコーレの授業で、こぞってノートと筆箱を持ってきた日本人生徒(僕含め)と手ぶらできたデンマーク人の学生 https://t.co/udfAitFnWF— はらだりょうま (@ryotu1358) 2019年1月26日
1日に6時間も「一斉授業」受けているのは、あまりにもバランスが悪いかもしれません。 https://t.co/Eg9paAPtLR
— 山本真司@小学校教師 (@3aWBI1FYAqlRbkx) 2019年1月26日
デンマークのフォルケホイスコーレの存在を知って、「デンマーク行きたいなあー」と思っていた矢先、このツイート。
デンマークと日本はワーキングホリデイ結んでるみたいだし、1年間くらいデンマーク移住するのもおもしろいかも! https://t.co/w7NhHrKp2V
— のめ@趣味垢 (@n0mebdk) 2019年1月26日
教育であれだけ騒がれたフィンランドが19位なのが個人的に興味深い。参加型とそうでないのとバランスがとれてるって見ればいいのかな? あとフランスのスコアが0ってまじですか https://t.co/5jGTm1TpX1
— 揖斐@語学系雑記ブログ6ヶ月目 (@royarrotivy) 2019年1月26日
いま通ってるデンマークのフォルケホイスコーレはまさに参加型、対話型の教育がメイン🇩🇰
話す、共有する、アウトプットする。
デンマーク人は高校生から口頭で回答するタイプの試験があるそう。
そのためかデンマーク人は自分なりの論点で論理的に話すのが得意な人が多い。 https://t.co/URrNvPJw7C
— とがち@社会人の北欧留学 (@togachi_jp) 2019年1月25日
日本で参加型教育があったとしても意見を言ったら教科書通りの正しい答えじゃなければ間違いだと教えられるので意見を進んで出しづらい環境だと思う。カナダだと「そういう考え方もあるよね」ってなるから生徒は次から次へと意見を言うし質問もして授業が活性化されてる。 https://t.co/Unp31xMH6U
— Eriku Kobayashi🇨🇦 (@erikukire) 2019年1月25日
スイスは教室に入る生徒が
先生とドア付近で握手会してから
入りますからね。授業の最初に先生が生徒全員と接点を
つくってます(物理)。
こういう心理的な授業デザインも注目ポイント#スイス #教育 #握手 https://t.co/ukWWvRkNjG— Etti@イギリス大学生【熱帯】読書中🇬🇧 (@Etti_UKnote07) 2019年1月25日
クラスの人数が少ないのもあるのか、発言してないと目立つ上に強制的に意見を聞かれる…(PhD level)。マスターレベルではシャイなノルウェー人が多くて割とみんな静かだったけど、その分グループワークが結構組み込まれていた気がする https://t.co/DifMCqLsYS
— のろちゃん🇳🇴 (@noro_toisu) 2019年1月25日
もちろんここには、ある程度のバイアスもあるでしょうし、一般化はできませんがそれでも、ここまで多く声が上がってくることは興味深いことです。スイスでは、握手するんですね。
これを踏まえて、僕自身も思ったことがあったのでまとめてみます。
参加型教育がいつも良いわけではない
まず参加型の教育(水平型)の方が、反対のトップダウン型の垂直型の教育よりも絶対に良いというわけではないということはあげておきます。スポーツとか訓練やビジネスシーンにおいては、トップダウン型がうまく機能する場面はまだまだ多いことは想像に難くないはずです。
「参加」にかんする文献を紐解くと、参加にも積極的な参加と受動的な参加(会員になっているだけ)とか、有償か無償かとか、制度化されているかとか、色々な形態があることがわかります。そもそもコミュニケーションが、水平型と垂直型に明確に別れることがずっと続くことってってほぼないですよね。偏りはあるでしょうが、常に流動的なものです。
なぜ日本の教育は参加型ではないのか?

By: Ryo FUKAsawa – CC BY 2.0
日本の教育現場が、垂直型に寄っているのは、試験偏重型の教育が多いことはよくいわれることです。
雑感ですが最近思うのは、もしかすると日本ではオーラル(口語)よりもライティング(書き)を基本としたコミュニケーションが深く根付いているからでは?なんて思ったりしています。大学の授業も学生の発言は少ないですが、感想文やレポートはすごい長かったり質が良かったりすることってよくあります。
それがよく表れているのが英語学習で、日本人はスペルも文法もおさえているので英作文はできるけど、スピーキングが苦手な人が多いですよね。海外だと英語だと英作文が最もハードルが高いと認識されていることが多いのにもかかわらずです。日本人は昔から「読み書き」のコミュニケーションの中で育ってきたのかもしれません。
なぜフランスの授業は非参加型?
ランキングに戻ると、フランスが意外にも垂直型のコミュニケーションに偏っていることが意外でした。
フランスでは、国家試験(バカロレア)で哲学が課さられるそうです。
参考記事

ある方に、哲学の授業はどうしても教師からの一方向的なものになるのではないか?という指摘をいただきました。Twitter上でも他にもこんな意見をいただきました。
バカロレアは、そもそも哲学的思考方法を用いて、ある1つの命題や課題に対する論理的な思考方法を形作るためのものだと思います。講義は受動的なものかも知れませんが、バカロレアの試験問題の特性として能動的に考える姿勢がないと合格できないという特性があるなとは思いました。
— HRK (@Schizo_29) 2019年1月27日
なるほどです。
そうですね。ただ、自発的な「学びたい」って思いはそこから生まれるのかなみたいな疑問はあります。やっぱりエリート心棒社会ですから、上を目指せという命令が内包されてるようなシステムから生まれる能動性っていうのは自発的と言えるのかみたいな。受動的能動性みたいな側面があるのではないか。
— HRK (@Schizo_29) 2019年1月27日
フランスの哲学の先生は皆、垂直型教育をしているわけではないです。
確かに多いですが、私の高校で哲学の先生は、テーマを出して、そのテーマのことを有名な哲学者の考え方で説明して、生徒たちの意見を聞くことでした。なので授業はまるで討論のようでした。そのような先生もいます。— そろそろヨーロッパ人 (@sgS1sWYyIFx2isK) 2019年1月28日
ただ、私にとって一番の問題は、バカロレアの哲学のテストを採点する方法です。先生たちは主観的に採点しているため、いいことを書いても採点している先生が賛成しなければいい点数をもらえません、、適当すぎると思います。
— そろそろヨーロッパ人 (@sgS1sWYyIFx2isK) 2019年1月28日
やはり授業の特性上、そうならざるを得ないのかな。
すると「バカロレア幸福論」の著者、坂本さんからもコメントをいただきました。
バカロレアの哲学的な問題というのが何を指すのかはっきりしませんが、哲学的な内容が一方向的な授業になるというのは正しくないでしょう。少なくとも高校最終学年の哲学の授業は単なる知識伝達ではありません。 https://t.co/ZZKQGZEpn1
— 坂本尚志 『バカロレア幸福論』(星海社新書)発売中! (@tk_sskmt) 2019年1月28日
ありがとうございます。
調査の対象が授業内の教育方法における垂直型と参加型の区別であれば、この結果もありえると思います。ただ、科目間の差異や、授業外の学習も考えると、ここまではっきり分かれるだろうかという気もします。哲学の場合は添削が重要な教育手法です。
— 坂本尚志 『バカロレア幸福論』(星海社新書)発売中! (@tk_sskmt) 2019年1月28日
詳しくは著書を参照する必要がありますが、高校最終学年の哲学の授業は単なる知識伝達ではなく、水平的な授業がされていることが期待できそうです。それでもやはり哲学というその科目の性質上、垂直型にならざるを得ないのかもしれません。
参加型教育の良し悪し
参加型教育は、コミュニケーションが「1→多数」という一方向なものから「多数↔︎多数」になるので、アイディアの交錯が俊敏で、結果的に場が創造的になることもあるのでしょうが、それはその場にいる人が「安心して発言できる場」となっていることが大前提です。人格を否定されないし、話を互いに聴きあえる場ということです。
「1→多数」という「銀行型教育」の現場では、預金のように預けられた知識を習得し、必要な時に活用(引き落し)をするという生徒像が想定されます。そこでは、生徒の主体性も人格も必要とされません。日本人の普通の若者が海外の教育現場で面食らうのは、そんな教育の中ですっかり「銀行口座」と化したからかもしれません。
この銀行型教育が機能する時代はかつての「組織」が重視される時代です。規律こそ全てだった戦時中の軍隊はもちろん、大量生産・大量消費の右肩上がりにの経済成長期もまた、所得倍増を目指して「護送船団方式」的にみんなで、隊列をなして歩みを進めいていたのかもしれない。そんな「組織」の時代から「個」の時代になったのが今日です。
SDGsや市民社会の分野では、ワークショップやファシリテーションを用いて緩やかな「個」を重視し「多数⇄多数」の学びの場の積み重ねがあります。最近ではビジネス現場でも、重視されてきた印象がありますが、参加型教育指数みる感じだと教育現場ではまだまだなのかなと、考えさせられてしまいます。実社会では、「多数↔︎多数」のコミュニケーションが圧倒的に多いのに「1→多数」に教育が偏重してきたのが日本です。
古くは社会教育の分野で共同学習の名の下に、参加型の教育は日本でも注目されてきました。最近では、アクティ・ブラーニング、問題解決型学習(PBL)という形で様々な実践がされています。
参加型、トップダウン型の教育のどちらの良し悪しも踏まえ、教育現場に携わっていく必要がありそうです。
なぜ日本では教育が参加型ではないのでしょうか。
どんな参加型の教育のやり方があるでしょうか。
そもそも参加型の教育の意義とは何で、参加型の教育の良し悪しとは何でしょうか。
ご意見おまちしています。
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