今日は僕の最近の身の上話をひたすらさせてください。ソーシャルメディアでもフォローしてくれている人ならわかると思いますが、なんとこの度、私、2018年4月から雇用されて働いております。週5日、出勤しているのです。そして勤務先は大学です。
大学名などを公開していいのかどうか悩ましいもんです。箔がつくかな?と思いきや炎上リスクも避けられないというか。こんなソーシャルな時代は怖いもんです。そんなことを考えていたら結局何もできなくなるので、ひとまずぶっちゃけ記事を書いてみて、その後で名前を明かすかどうか考えてみたいと思います。
どこの大学でどんな仕事をしているのか
まず一つ目の大学は埼玉県越谷市にある文教大学です。(いきなりぶっちゃけてる笑)
この大学に付属している生活科学研究所というものがあります。ここで研究員として働いています。 研究員とは学生ではなく厳密には職員であります。
しかし、終身雇用である教授や准教授または専任講師などとは違う立場にあります。 なぜなら終身雇用ではなく、契約期間のある立場だからです。(逆にそれ以外は終身雇用なんですよ。すごいですよねこんな時代に。フリーランスからするとあり得ない…)
よく聞く非常勤講師かと思えばそうでもなく、なんと授業を一つも教えないのです!
では何をやっているかというと、この研究所の運営にまつわる事務的な仕事を主にやっているということです 。そうやって聞くと事務の人なのか?と思いきや、 よくある学生課や総務課、情報システム室施設課、教務課などとは完全に独立をしているのです。
正直僕もこの立場を理解するのに一か月ぐらいかかりました。
研究員とは何ぞや?
どうやら大学にはこのように、研究者を目指している人が一時的に職を得ることができ、かつ将来的に教授だったり専任の講師だったりを目指すアカデミックキャリアを歩む人のためのポジションがあるそうです。非常勤講師もそのひとつです。
本来だったら、多くのアカデミアは博士過程まで進学して博論を提出して博士号を取ります。運が良ければ空いたポストに声がかかり、そこで雇われて終身雇用の身分で、最初は講師(非常勤ではない)、その後は准教授、そして教授というキャリアを歩むことになります。
しかし、以前のメルマガの記事(「Vol.7 沈みゆく日本の大学業界をこれからの若手が生き抜いていくには?」)でも書きましたが、日本は今博士号拾得者の数に見合うだけのポストが空いていません。それは少子高齢化による大学の職位の減少の影響が大きいのです。
そういう人達は「浪人」をします。
本来だったら民間の企業に勤めることなども考えてもいいのですが、博士達はそのような選択をする人が少ないこともまた、椅子取りゲームを激化させます。そういう人たちが一時的に次の職へキャリアチェンジするために存在するポストが、この研究機関の研究員や非常勤講師などのポストであると先輩が教えてくれました。というか終身雇用のポスト自体が減っているので、そうならざるを得ないんでしょうね。
そういう意味では、僕は修士号しかないのにこのポジションを入れたことはラッキーといえます。しかし、専任講師や准教授とは違い「先生」ではなく、授業を教えるわけでもないことは大きな違いです。また研究者番号という科研費を取るための研究者に付与されるための番号をもらえないことも痛手ではあります。(別の大学で客員研究員になってもらうことになりそうですが)
しかし、教授の部屋よりも大きい研究室に、なぜか一人で座り、一週間の雑務が 2日もあれば終わるような分量の仕事しかないのは、他の生業が多い人には有り難いことです。
生活科学研究所とは何か?
まず生活科学研究所と Google 検索してみてください。検索結果の2番目か3番目ぐらいに出てくるはずです。なぜならこのような研究所は国内でも珍しいからです。文教大学自体は私立大学で教員養成系の大学として有名です。それこそ最近の小学校中学校の教員採用数で全国の私立大学の中でトップです。 教育学部だけは偏差値も高く57を超えているそうです。
学部は他に
文学部
人間科学部
情報学部
経営学部
国際学部
健康栄養学部
が存在し大学院もあります。国際学部と情報学部のキャンパスは湘南にあります。
元々は立正女子大学という名前だったそうで。 生活科学研究所は1976年に人間科学部の誕生に伴う家政学部の発展的解消を機に、生活科学研究部として発足したことに端を発するということです。分野横断的で文系理系を問わず「生活者の視点で物事を科学する」ということが生活科学研究所の基本的な研究のアプローチということです。
もともと家政学部であったこともあり、栄養学や理学、さらには心理学などに始まり社会心理学なども含まれるようになりました。逆にいうと文系社会学部卒のボクは「外れ値」ではあります。
現在、生活科学研究所がやっていることとしては毎年研究所で発行している紀要の編纂、そして生活科学研究所に所属する客員研究員の方たちのための定例会の開催や、外部に向けた公開講座の開催などをしています。
客員研究員というのは、当大学の専任講師からの推薦と研究計画書を提出すれば学費なしで研究員になることができます。(謎すぎるシステム)
客員研究員になると、紀要に自分の書いた論文を投稿する権利を得ることができます。もちろん審査はありますが、あまりにも分野が幅広いので査読レベルにはなっていないのが現状でしょう。例えば去年でいうと猿の海馬の研究してる人もいれば、神楽の舞について研究している人もいました…..汗
もう訳が分からない
しかも、学費を取らないで研究紀要に載せることができるというのはなかなかありえない。学会ですら年会費はとられますからね普通。研究紀要に載ると、一応これも実績としてカウントされます。
とまあそんな謎の研究所で働くことになったわけです。
正直、この謎の研究所にどれだけいるかはよくわかりません。ただ僕に声をかけてくださった教授の方々は僕の研究活動を応援してくれていて非常に嬉しいです。なので業務だけちゃちゃっと終わらせて執筆活動だったりその他の仕事を内職したりということも「存分にやってくれ!」ということで、大変ありがたく思っています。
当初は、一週間3日の出勤でお願いをしていたのですがもうひとつ別の大学で非常勤講師をやることになってしまったので、時間が合わず結局、週5日もこの大学に出勤することになってしまいました(笑)
まあそれでも生活リズムはしっかりするし、姿勢は良くなるし、自分の部屋はあるし、備品はあるし仕事もゆるいし、さらにベーシックインカムももらえるので悪くはないでしょう。
フリーランスであることにはちょっと飽きてしまったのもあります。しかし、これまで通りスウェーデンや若者研究できる立場にあることは間違いないので、むしろより純粋にやりたいことができる環境になってきたように思います。
非常勤講師の授業と大学はこちら
もう一つの別の大学の仕事も紹介します。こちらは駒澤大学という東京の世田谷区にある大学での仕事です。職務は非常勤講師。この大学にある教職課程で社会教育主事という、図書館などで働く人たちのための資格をとる生徒が選択する科目を教えています。
といっても、僕は教員養成大学出身でもありませんし、社会教育もまともに勉強していません。それでもこの科目を教えることになったのはおそらく科目名が「若者の居場所と参加」という授業だからでしょう。僕のブログを読んでいる人ならわかりますがまさに僕が北欧にいって研究してきたことはこのテーマだからです。むしろ、これ以外に何かを教える科目があったとしたらなんなんでしょうかっていうぐらいです。
こちらは非常勤講師です。研究員と違ってこちらでは一応「先生」と呼ばれるんです。といっても 一コマしか担当していないので 、一週間のうちに大学に出向く回数はたった一回だけです。
そして登録している 生徒数は何と
3名。
シラバス作成時、 30人とかの前で毎週教えるというのが正直骨折りだなと思っていました。だから、少ない方がいいなとずっと思っていたのですが、、そうなんです3名なんです。
しかし最近は、もぐりで来てくれている生徒も何人かいます。その生徒は駒沢大学の学生でもない人もいれば、 同じ大学でたまたま休講だったから来たという人もいます。というわけで徐々に人が増えていって嬉しいです。
どんな授業を作っていきたいのか?
授業では僕がこれまで日本またはスウェーデンで学び、そして実践してきたことをひたすら話すことをメインにしています。それこそユースワーク、若者政策、若者の居場所、社会参画などを「教育」という言葉を一切使わないで、ではどうしたら若者が社会に関わることができるのか、社会が若者にとってやさしい社会になることができるのかを、メインのテーマとしています。
例えば先日は「脱工業化社会における若者と若者政策の浮上」というテーマで話をしました。前半は、ひたすら内閣府、電通、WVSの若者の意識調査の質問をPollEverywhere で学生に聞きまくって結果を実際の調査と比較。その後は、インスタ投稿からみる若者の意識の話しでざわつきました。
僕の強みはヨーロッパにいって、現地で若者政策、若者参加の取り組みをみてきたこと、そして国際比較教育という分野で修士号を取ったこと、さらには若者政策の国際シンクタンクで働いたことがあるということです。
これは単に英語が話せる、海外事情に詳しいというだけのものではありません。そもそも若者政策とは何なのか、それが世界的にどのようなトレンドの中に位置づけられているのか。そして国と国を超えた国際比較をするときに、どのような軸に基づけばいいのかという国際比較教育の枠組みを使えること。
そして何より日本の国内の業界事情も知っていること、プラスでスウェーデンの現場レベルでの取り組みを詳しいこと。という一貫性のあるテーマをミクロからマクロレベルで、質・量的なアプローチを交えてみれるということです。
なので無理して社会学や政治学・教育学の大御所の学者の名前をあげて、その考え方を紹介しまくるというような授業はあまりしようと思っていません。
結局、それって教える側の自己満足だと思います。言い方が悪いですがどんなにへたくそな話し方でも、授業であれば「講師」は「講師」、「学生」は「学生」なので話せばずっと聞いてもらえるのです。これまで人前で話したことのない研究者にとっては良い練習の場合になるでしょう。しかし、それは誰のためにやっているのかということを自覚する必要があります。
目の前に若者がいる。たとえ3人であっても、その人の貴重な時間を、人生に携わらせてもらっているという意識が、若者と関わる仕事をするユースワーカーには常にあります。だからといってマイケルサンデルのような名講義をするとかそういうわけではありません。ぼくらの世代の新しいやり方で、新しいことを教える。そういうことをして社会をアップデートしていかないと、何も変わらないのです。
とまあかなり意識高めに書きましたが、授業は割とゆるゆるです。僕らの領域は、ノンフォーマルな分野、つまり公式な場ではなく「非公式」な場です。つまり、教育も公式的な「学校」のようなで教えるよりかはノンフォーマルな場で教えるという意識が強いです。
なので教室で人前で一人が一方的に話すというやり方は、そもそもこの領域の人たちにはあまりあわないというのがあります。そんな妙なこだわりがあるのは、僕は学校というシステム自体にずっと違和感を感じてきた身だからでしょう。
それはなぜか。そう考える人が僕以外にいるのはなぜか。僕自身の中でもこの違和感にまだ答えはありません。その答えを一緒に考えていく。そんな授業を一緒に作っていけたらいいなと思っています。
というわけでこれからもフリーランスの仕事もしながら、謎の研究員という立場でいろいろやっていきますので、どうぞよろしくお願いします。