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論文が世に出るまで──「ユースワークの脱新自由主義化」を書き終えて

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先日、英語論文としては3本目にあたる論文が Journal of Applied Youth Studies(Springer)に掲載されました。タイトルは “De-Neoliberalising Youth Work: Democracy, Leisure, and Comparative Perspectives from Europe and JapanDe-Neoliberalising Youth Work: Democracy, Leisure, and Comparative Perspectives from Europe and Japan” です。ヨーロッパと日本を横断しながら、新自由主義がユースワークをどう変えてきたのかを問い、その先に「民主主義」と「余暇」という価値を置き直そうとした論文です。

この論文は、じつは一度リジェクトを経験しています。そして、その背後には、数年にわたる日本語での研究の蓄積がありました。公開されたいまだからこそ、その土台から、最初の不採用を経て受理・公開に至るまでの道のりを、査読で受けた指摘とそれにどう応えたかを含めて、振り返っておきたいと思います。

この論文の土台になったもの

この英語論文は、突然生まれたものではありません。土台になったのは、2025年に『福祉研究』(日本福祉大学社会福祉学会編、第118号、pp.40–51)に発表した日本語論文、「新自由主義から降りるユースワークへ──民主主義と余暇の再評価」でした。この日本語論文で、私は新自由主義がユースワークと若者政策に与える影響を論じ、福祉レジームの異なるアメリカとスウェーデンの教育政策への社会実装を比較し、効率性・成果主義への傾斜、リスク管理への移行、専門性の空洞化という現場への影響を整理したうえで、「新自由主義から降りる」視点として民主主義と余暇の再評価を提示しました。今回の英語論文の骨格は、まさにここにあります。

もう一つの土台は、科研費による研究プロジェクト 「新自由主義から降りるユースワークの国際比較研究」(JSPS JP25K05635)です。このプロジェクトの中で重ねてきた議論──とりわけ「新自由主義から降りるユースワーク研究会(通称:新ユ研)」での対話──が、英語論文の理論的な射程を支えてくれました。一人で書いた論文ではありますが、その背後には集合的な議論の蓄積があります。

最初の投稿先は、別の雑誌でした

英語論文としての最初の投稿先は、International Journal of Social Pedagogy(IJSP) でした。ソーシャル・ペダゴジー(社会教育学)の伝統はヨーロッパのユースワークと地続きであり、しかも投稿先として選んだのは、まさに “Youth Work and Social Pedagogy” という特集号でした。

特集号を選んだ理由は明確でした。テーマとの親和性が非常に高いこと、ユースワーク研究者に読まれやすいこと、そして特集号のほうが論文の位置づけが明確になること。手応えを感じていましたし、実際に編集部からは「査読に進みます(Proceeding to peer review)」との連絡もいただきました。

しかし、2名の査読者による査読を経て、結果は 不採用(Reject)でした。

リジェクトのコメントが教えてくれたこと

不採用の通知には、一つ救いがありました。「この論文は他の雑誌に投稿されうる(This paper may be submitted to another journal)」という一文です。つまり、内容そのものを否定するのではなく、「現在のこの雑誌では掲載できない」という判断でした。

査読コメントを冷静に読み返すと、問題ははっきりしていました。

第一に、スコープが広すぎました。日本、ヨーロッパ、スウェーデン、民主主義、余暇、新自由主義、社会教育、ユースワーク──これだけのテーマを一本で扱おうとしていたのです。第二に、比較対象が大きすぎました。「ヨーロッパ」と「日本」を同時に論じたため、比較研究としての深さが足りないと受け止められました。第三に、理論的焦点が曖昧でした。結局この論文は何を主張したいのか、が見えにくかったのです。そして第四に、細かな修正ではなく、論文全体の構造そのものを組み替える必要があるという評価でした。

いま振り返れば、どれも的を射た指摘でした。悔しさはありましたが、このコメントは、その後の論文改善に決定的な役割を果たすことになります。

投稿先を選び直し、論文を再設計しました

IJSPに再投稿するのではなく、私は投稿先を Journal of Applied Youth Studies(JAYS, Springer) に変えることを決めました。そして、投稿先の変更に合わせて、論文そのものを大きく再設計しました。日本とスウェーデンの比較を大幅に縮小し、教育政策の比較は思い切って削除しました。全体を理論論文として組み直し、”Applied Perspectives” という視点を加えて、実践への示唆を強化。構成は全面的に書き直しました。タイトルも “De-neoliberalising Youth Work: Democracy, Leisure, and Applied Perspectives” と改めました。

JAYSでの査読──今度は Major Revision

再設計した論文をJAYSに投稿すると、結果は Major Revision(大幅修正) でした。3名の査読者がつき、共通して突かれたのは、次の3点でした。

一つは、「de-neoliberalising(脱新自由主義化)」という概念そのものの曖昧さ。二つめは、実証的な裏づけの不足。三つめは、日本の事例の記述が薄いこと。IJSPで指摘された「焦点の曖昧さ」が、ここでも形を変えて問われていたわけです。

この改訂こそ、この論文でもっとも時間をかけた作業でした。「de-neoliberalising」を、政策・実践・主体性という三つの水準で作動する多層的なプロセスとして定義し直しました。日本の事例には、萩原(2024)による「居場所」論、田中(2021)の歴史的文脈、平塚ら(2024)の「実践記録(Story Practice)」といった具体を厚く盛り込みました。競争入札の実例(船橋2022、青戸2024)も加えました。

そして、この改訂の過程で、論文の独自性を決定づける構造上の判断をしました。

いちばんこだわったこと──ヨーロッパと日本を「並べる」構造

もっともこだわったのは、ヨーロッパの理論と日本の概念を、どちらか一方に従属させないことでした。

日本におけるユースワーク研究では、往々にしてヨーロッパの枠組みが「普遍」として置かれ、日本はその応用事例として扱われがちです。Coussée らの Transit Zone / Social Forum という枠組みは強力で、改訂初期にはこれを分析の中心軸に据えていました。

ですが途中で思い直しました。日本には日本で、独自にたどり着いた「居場所」と「参加」というユースワークの枠組みがあります。ヨーロッパはヨーロッパで、Transit Zone / Social Forum にたどり着きました。まずはこの二つを対等に並べて提示する。そのうえで、両者を比較する研究者としての私自身が、帰納的に「民主主義」と「余暇」こそが共通の核心ではないかと提案する。この構造に組み替えたとき、論文の独自性がはっきりと立ち上がりました。

二度目の査読──「軽微な修正」と、白眉への評価

修正版を再投稿すると、判定は Accept after Minor Revisions(軽微な修正の上で受理) に進みました。査読者2名からはほぼ無条件に近い高評価をいただけました。

Reviewer 1 からは、4つの具体的なコメントが付きました。①方法論の明確化、②民主主義/余暇という主張を論文の早い段階で前景化すること、③各セクション間の統合を強めること、④限界(limitations)の議論を拡充すること、の4点です。

とりわけ嬉しかったのは、Reviewer 1 が「民主主義と余暇が核心的価値である」という主張を論文の肝と評価してくれたことでした。この評価を受けて、それまで並列要素の一つとして軽く触れていたこの主張を、Abstract の段階から明確な「arguement(主張)」として前景化しました。IJSPで「何を主張したいのか見えにくい」と言われた論文が、二つの雑誌の査読を経て、その中心主張を堂々と掲げられるようになったのです。

セクション間の統合については、新自由主義下の四つの力学を、それぞれ独立した現象ではなく、Brown のいう単一の統治的合理性の相互に連関した表れとして描き直しました。限界の議論では、新自由主義的改革が国ごとに多様でハイブリッドであることを認め、本論文の比較的知見は「普遍的な処方箋」ではなく「文脈依存的な参照点」として読まれるべきだと明記しました。

いちばん苦労したこと──8,000語の壁

苦労した点を一つ挙げるなら、間違いなく語数制限です。

この雑誌の上限は参考文献・URLを含めて8,000語。査読者の求めに応じて日本の事例を厚くし、概念定義を精緻化する──そのすべてが語数を食います。そこで採ったのが「相殺財源(offset financing)」という考え方でした。どこかを足すなら、必ずどこかを削る。冗長な言い換え、過剰な繰り返し、引用されていない参考文献(6件、−134語)。一語一語を精査し、最終的に7,994語、上限まで残り6語というギリギリのところに着地させました。

DOI の URL が語数に含まれるのかが最後まで曖昧で、投稿規程と実際の掲載論文の両方を突き合わせて「含まれる」と確定させたのも、神経を使った場面でした。

受理、そして公開へ

締切だった6月25日に間に合わせて最終稿を提出し、6月28日に正式受理、7月20日に version of record が公開されました。公開後には、科研費(JSPS KAKENHI JP25K05635)の謝辞の反映、匿名化していた自己引用の実名化、Declarations の整備といった、地味ですが省けない校正段階の作業も一つずつ片づけました。

福祉研究論文と、今回の英語論文はどう違うのか

「土台になった」とはいえ、今回の英語論文は、福祉研究に投稿した論文をそのまま翻訳したものではありません。両者のあいだには、意識的に設けた明確な違いがあります。

第一に、比較の枠組みが変わりました。 福祉研究論文では、新自由主義のロジックが「アメリカとスウェーデン」という福祉レジームの異なる二国の教育政策にどう社会実装されたかを軸に据えていました。これに対して英語論文では、この教育政策の比較を大幅に縮小・削除し、代わりに「ヨーロッパと日本」というユースワークそのものの比較へと軸足を移しました。アメリカという参照点を退け、日本を比較の一方の主役として前面に押し出したのです。

第二に、日本の位置づけが根本的に変わりました。 福祉研究論文では、日本はどちらかといえば議論の背景にありました。英語論文では、「居場所」や「参加」といった日本独自の概念を、ヨーロッパの Transit Zone / Social Forum 枠組みと対等に並置する構造へと組み替えました。日本を事例の一つとしてではなく、独自の理論的伝統として立ち上げたことが、英語論文における最大の飛躍です。

第三に、論文の性格が変わりました。 福祉研究論文が、新自由主義の影響を「確認し、整理する」批判的検討に重心があったのに対し、英語論文は「de-neoliberalising とは何か」という概念を多層的に定義し直し、民主主義と余暇を核心的価値として主張する理論論文へと踏み込みました。日本語論文で「再評価」として控えめに提示した民主主義と余暇を、英語論文では論文全体を貫く中心的な 主張 へと格上げした形です。

第四に、読者と射程が変わりました。 日本語論文は、日本福祉大学社会福祉学会という日本の文脈の読者に向けて書かれました。英語論文は、英語圏中心のユースワーク研究コミュニティに向けて、「日本からの視点」を国際的な議論のなかに位置づけることを狙いました。同じ問いでも、届ける相手が変われば、論の立て方も変わります。

一言でいえば、福祉研究論文が「日本の読者に向けて、新自由主義の影響を批判的に整理した論文」だとすれば、今回の英語論文は「国際的な読者に向けて、日本とヨーロッパを対等に並べ、脱新自由主義の理論を提案した論文」です。前者があったからこそ後者が書けた。しかし後者は、前者を大きく超えようとした挑戦でもありました。

振り返って──リジェクトは、書き直しの始まりでした

一本の論文が世に出るまでには、華やかな「主張」の背後に、膨大な微調整の積み重ねがあります。そして、その手前には、日本語での研究の蓄積があり、研究会での議論があり、リジェクトという壁と、投稿先を選び直すという判断がありました。

IJSPでの不採用は、結果的に非常に有益でした。あのとき「スコープが広すぎる」「焦点が曖昧だ」と言われなければ、論文全体を再設計することはなかったと思います。IJSPの査読コメントは、その後のJAYSでの改訂に、そして最終的なアクセプトに、確実に貢献したと思います。二つの雑誌の査読者、合わせて5名の目を通ることで、論文は「批判で終わらない、次への出発点」へと鍛えられていったのだと思います。

リジェクトは終わりではなく、書き直しの始まりでした。いま、同じように不採用通知を前にしている方がいれば、そのことを伝えたいと思います。査読コメントは、攻撃ではなく、あなたの論文の設計図になり得ます。

全文は、Springer の共有リンクから今なら無料で読めます。
→ https://rdcu.be/fuzSh 

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