先日のこちらの投稿に続き、今回もまたSJF アドボカシーカフェの講演録をアップします。今回は、両角と穂積市長の講演後の質疑応答の時間です。
初回からご覧頂きたいからは、こちらの記事からどうぞ。
それでは質疑応答の様子を、どうぞ!
スウェーデンとイギリスのユースカウンシルの違いは?
この後のグループ対話の前提となるところで、いくつか質問させていただきます。まず両角さん、イギリスのユースパリアメントとユースカウンシルの違いをもう少し説明してください。
イギリスのユースパリアメントは新城市の若者議会に近いものかと思います。公式な場における参加の場かと思います。スウェーデンのユースカウンシルは、そういうものもありますし、そうでないものもあります。どちらが良い悪いというわけではなく、性格の違いだと思います。ユースパリアメント的な、市議会に行って公式な見解を述べて政治家とがっちりトークするということも、ヨーテボリの若者議会もやっています。ただヨーテボリの若者議会のなかには、そういう活動とは違うタイプの若者会や若者議会もあり、そこはもっと地域に根差して地域の問題を扱っています。
できるだけエリートだけにしないということをスウェーデンのはかなり意識されていますけれども、若干ユースパリアメント的なほうはちゃんとした人が入ってよという印象があります。このあいだ一緒に見に行った小野航太くん(わかもののまち副代表)、印象はどうでしたか。
(小野航太くん・わかもののまち副代表)
パリアメント的なほうは、より強い問題意識、より法的な問題意識を持った子たちが多いという印象は持ちました。ユースカウンシルは、よりローカルな問題意識を持った子たちが多く、自分の地域の治安を良くしたいといった意識持ったいわゆるふつうの子が多いのではないかという印象を持ちました。
市民自治会議で若者の声を聞いて生まれた「若者議会条例」
今度は穂積さんに質問です。エリートばかりが参加するという話のなかでは、新城市の若者議会も一部の若者だけが参加しているのに1千万円も予算をつけているという印象を持たれなくはないのかなと思っていまして、実体としてどうなっているのでしょうか。
あと、まちのなかで若者議会を実際に立ち上げられるときに、子ども議会や若者議会をいろいろ調査していますと、「議会」という名前を付けることに本物の議会がいやがるという話を聞いたりするので、まちや議員側の反応はどうでしたか。
後ろの質問から答えますと、あることはありました。若者議会というのは憲法違反ではないかというぐらいの議員さんもおられました。それはどこでもあるのです。住民自治を進めると必ず議会軽視という声が起きますし、若者議会というと議会を無視するのかという声も起きてきますが、いろんな模擬議会にしろ何議会という形で使っていますので。
今にして思えば、「若者会議」と命名したか「若者議会」と命名したかでは、かなり社会的な影響力は違ったかと思います。
本市では5年前に自治基本条例を作っていて、自治基本条例を回していく会議として市民自治会議をつくっています。その市民自治会議が毎年、自治基本条例を検証したりブラッシュアップしたりしているのですが、その市民自治会議の中に若者政策のための分科会をつくって、そこに若い人たちを入れて議論をして、その市民自治会議からの答申として「若者議会を作るべきだ」という意見を市長に受けました。私のマニフェストには、若者議会までは書いてありません。「若者政策をやるよ、そのための会議を立ち上げるよ」とまでは書きましたが、「若者議会までいけるかな」というのは内心ありました。しかし市民自治会議で若者たちの声を聞く中で、若者たちも「若者議会をやりたい」と言い、市民自治会議の人たちも「これならもう条例でやるべきだ」となって議会に提案しましたから、ある種の手続、正当性を経ていましたから。
前の質問、一部の若者だけではないかという議論は、これはやはり付いてまわると思います。いわゆる正当性、代表性はどこにあるのかと。いまのところ本市では、市長の諮問機関・付属機関として若者議会を位置づけていますので、市長の責任のなかでやっていますけれども、ゆくゆくはヨーロッパのユースパリアメントのように選挙をやるのか、何らかの選出方法を考えていかななければいけないと思います。いまはその走りですので、ある種偏っていると見る人はいるかもしれないし、正当性・代表性があるのかという議論は残りますが、それ以上の効果、それ以上の突破力を持てるかどうかというところが問われていると思います。
先ほど言われた、もともと若者議会をやっていた方で市議に選出された方は何歳ですか。
「がんばる元気な若者を後押しする」にとどまらない若者議会
若者政治参画を、それ自体に価値があると言われました。私も同感です。また、いわゆる教育効果、学びに回収する必要があるのかと言われました。そこを深堀していただければと思います。
ぼくのこだわりなのかなと思います。ワークショップをやったりもそうですし、学校で出前事業をやったりするときもそうですし、若者の声もそうですけど、自分はただやりたいからやっているだけなのです。例えば僕はブログを書いています。ブログを発信するのも表現の自由の一つだと思いますし、そういうレベルでやっている若者活動はいろいろあると思うのです。ダンスをやったり文化祭をやったりもあります。それらをある大人から見ると、ただ遊んでいるだけじゃないかという見方がある。それはそうだよ、その何が悪いんだということです。
よくわかります。一番最初にこの若者議会が全国放送に取り上げられたのが、NHKのクローズアップ現代で国谷さんの頃でした。終わった後、コメントの方が、ちょっとクスッという感じで、「若者、がんばってますよね」という感覚。また、みなさんに先ほどご覧いただいた若者議会のニュースでも、最後に「いいよね、こういう取り組み。元気で、若者後押しして」ということで留まる反応というのがあるのです。
いやいや私たちの方では、そんな簡単なことじゃないぞ、君たちの立場をいずれは脅かす若者議会かもしれないぞと。その気持ちをできるだけ広げて共有したいと考えているので、先ほどのパターナリズムの話じゃないですけれども、それは日本は若者を語るときに乗り越えていかなければいけないところだと思います。
「若者政策」という言葉をブログ等でも意識的にずっと使い続けています。伝統的に「青少年政策」といったものが日本だと多いと思うのですが、地方自治体の役職を見ても「若者」はあまり出てこない。さらに「若者政策」となると新城市ぐらいしか無いのではないかと思うのです。なぜ「若者政策」という言葉になったのでしょうか。
もともとが平成25年ですから、いまから5年前の市長選挙、私の3期目の市長選挙のマニフェストで「若者政策」を掲げた。その前段で、若者議会のキックオフシンポジウムなど、そういう動きは始まっていました。若者たちの中から若者議会、ユースの力を何とかしたいという動きが出てきて、これを確実に形にしていきたいということでマニフェストにしました。その時に、いくつかの自治体や研究者の書いたものを見ていく中で、地方都市には若者の流出に非常に危機感をもっているところが多い。若者が都会に流出していく。若者をなんとか定住させなければいけない。それがいい政策かは別として、そういうことが当時いろんなところで議論されていて、どなたかが「若者政策」という言葉を語っていた。それから「若者政策」をキーワードにスウェーデン事業庁の若者政策など先ほどの両角さんの下訳も含めていろいろな研究に突き当たって、「若者政策」と言うのがいいのかなと思いました。
山形県遊佐町は「少年議会」、「少年町長」と言っているのですが、じつは私は市長になる前、鳳来町の町長時代が1年ほどあって、町長時代に遊佐町の町長さんのお話を聞く機会があり、そのお話がインプットされていました。当時数10万円の予算を出していたと思います。そのことも背景にあって、なんとか若者が政治参加できるように、若者のパワーを社会が組み込めるようにという思いがあった中で、いろいろなことが重なって「若者政策」に行きつきました。
(講演終わり)
続きの質疑応答部分は、次回の投稿でアップします。