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なぜソウル市は若者版ベーシックインカムである「青年手当」を試みた?インタビュー録全文を公開します。

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ソウルの若者支援・政策 インタビュー時の様子

2017年3月下旬、韓国の首都ソウルの若者支援の現場を訪ねるスタディーツアーに参加しました。訪問先は以下の通りで、若者の就労、住宅、余暇、地域などの問題に取り組む非政府団体の取り組みを視察しました。

ソウル市青少年活動センターの入る、ソウル市青年ハブ

視察2日目には、ソウル市青年ハブに事務所を構えるソウル市青年活動支援センターを訪問しました。このセンターは、「青年手当」という若者で週30時間以上の労働をしていない若者であれば、一ヶ月あたり約5万円を受給できるという施策です。この新たな試みは国とソウル市の方針の違いでわずか1ヶ月で頓挫してしまいましたが、それでもソウル市が実際にこの政策を試みたのは確かです。

インタビュー時の様子

なぜ、若者支援で若者向けの生活手当の施策にソウル市は試みたのでしょうか?そこには、複雑化する若者問題の根源的な問題があったのです。

以下に視察時のインタビュー録を全文掲載します。改めて、スタディーツアーのコーディネートをしてくださった、大草みのるさんにはこの場を借りて感謝申し上げます。

先方は、ソウル市青年活動支援センターのキ・ヒョンジュさんです。

お会いできてうれしいです、みなさま。私はソウル市青年活動支援センターのキ・ヒョンジュと申します。よろしくお願いいたします。

みなさまから「青年手当」というものと、私たちのセンターについて聞きたいと伺っていますから、それについて簡単にお話しします。静岡(県立)大学からお越しいただいたとのことで、みなさまがたの活動についてもお伺いできたらと思っています。

スペックがあっても就職できず疲弊するソウルの若者

私たちのセンターは青年手当という支援を受ける若者たちと関わる業務を行なっています。青年手当がどのように生まれたかご説明しましょう。若者たちが就職の準備をするためには非常にお金がかかります。コンピューター関連の学校に通う、語学の知識を習得する、試験の準備、グループスタディーや社会活動への参加、インターン、フリーランサーとして活動することなどを、一人で行わなくてはなりません。もともとは個人がこれら全てにかかる費用を負担しており、これを韓国では「万里の長城スペック」と呼んでいます。積んでも積んでも終わりがないということです。

個人ですべてこのスペックを積んで、やっと就職ができると言われているのです。しかし問題はさらにあります。これだけのスペックを積んだとしても、就職できない場合があるということです。そこで若者たちは毎日毎日履歴書を書き、応募し、毎日不合格の通知を受け取っているのです。

昨年我々が出会った若者たちの、就職に向けた平均準備期間は19ヶ月でした。その19ヶ月というのは、大学在学中の期間ではありません。大学を卒業してからの期間です。そして、卒業してから就職するまでの期間を支援するのが私たちの目的です。

ソウル市青年ハブの入り口

実は在学中にも準備は行なっていますから、就活準備の期間はもっと長いものです。その長期間の準備により、若者たちのメンタルの状態は非常に悪くなっています。私たちは活力という言葉を使いますが、一生懸命就職活動を行うためには、活力が必要です。しかし実際の若者たちをみると非常に疲れきっています。

青年手当というのは、このような若者たちに対して政策的な支援が必要だとの考えから生まれました。というのも、こうした状況が生まれているのは個人の問題ではないからです。

企業では経験値を求めてきます。例えば失敗の経験について聞いてきます。しかし就職活動準備の間に、若者は社会の組織に属して何か活動をするということができていません。つまり組織の中でなにか失敗をするということを知らないのです。そんな状況ですから、中には「幽霊創業」を行う人までいます。失敗の経験を作るために、形式的に創業するのです。

ソウル市が試みた青年手当は、現金支給だけではない

青年手当を与えることで、自分自身に集中できる時間を与えることができます。高スペックを積んでいくためにはお金がかかる、そのためにアルバイトをたくさんすると、時間が多く奪われます。韓国では最低賃金も低く、フルタイムで週40時間働いても、1ヶ月で120万ウォン(約12万円)、塾を2つ受講したらなくなってしまうくらいのお金しか稼げません。

そこでソウル市では青年手当という政策によって、月50万ウォン(約5万円)を6ヶ月間、現金で支給することにしました。そうすると、アルバイトをするための時間を 85時間節約することができます。

我々のセンターでは、その節約できた時間でできることを若者たちに提示しています。例えば街のコミュニティを紹介したり、若者たちをつなげたり、「朝起きるための同好会」を結成させたり、一緒に英語を勉強する仲間を紹介したり、日常の中で若者たちが集まれる機会を作っています。というのも、一人暮らしの若者が多く、彼らの居住空間が非常に狭いからです。彼らは2畳ほどの部屋で暮らしており、(部屋が暗いので)光もあまりはいりません。

実家暮らしの若者もいますが、彼らも状況は芳しくありません。現在韓国の家計の状況はあまりよくありません。中間層がなくなり、両極化が進んでいます。家の中でお金を稼げる人があまりいない状況です。仕事をしても労働時間が長く、そもそも就職が難しいことで親からの目線も厳しく、過ごしづらさを感じている人も多いのです。だからこそ、政策的に彼らの状況を支援しようということになっているのです。

潜在的なニーズの発見と手当の打ち切り

手当の対象は、ニートと呼ばれている人たちなのですが、大学や高校を卒業してから就職するまでの人たちです。アルバイトをしている人たちは支援対象ですが、週30時間以上の仕事をしている人は我々の支援の対象からは外れます。

我々は去年、支援を開始し3000人を募集しました。しかし若者たちに手当を給付することに対しては厳しい視線がありました。五体満足で、外でアルバイトをすることもできるのになぜ若者たちにお金を渡すのかという批判が、社会的に大きく取り沙汰されました。老人の方が大変なのか、若者の方が大変なのか、どちらを本当に支援すべきなのかという、世代間の喧嘩のようになってしまったのです。

青年ハブの中には様々な若者団体や若者支援団体が利用できるスペースがあった

韓国では、若者たちが大変な状況にいるということに対して、社会的な合意が形成されている途上にあります。昨年我々が3000人を募集したら、6000人から応募がありました。そしてその6000人はみな、支援を受けなければならない人だったのです。しかし予算の限界がありますから、まずはその中から3000人を選びました。基準としては家庭の所得が低い人、職についていない期間が長い人、を優先しました。

しかし本当は6ヶ月の支援を行うべきなのですが、この時は1度しか50万ウォンを支給できませんでした。というのもソウル市がはじめたこの政策に対しては、(中央)政府が反対していたのです。途中で中止命令が出されてしまいました。

新たな方針:非求職型への支援

今年も同様の計画を立てており、現在政府との交渉を行なっています。我々のセンターでは、日常におけるコミュニティ形成や、履歴書作成などの指導、就職した人たちのメンタリングなどを行なっています。昨年その活動をして感じたことは、同じニートの若者といっても、その中は均質ではないということです。中には就職する意思がない人もいれば、目標が明確に見えている人もいました。今年はそのタイプごとに、別々のサービスを提供したいと考えています。

ただし、我々のセンターは就職準備のためのセンターではありません。ソウル市内にはすでに職業訓練や職業紹介などを行う専門の機関があります。我々は、何をしたら良いかわからないような人たちや、そもそも就職する意思がない「非求職型」の人たち、この2タイプにターゲットを絞って支援していく方針を立てています。

去年、日本の若者ステーションを運営している人たちと話す機会がありましたが、若者ステーションの人たちは私たちがターゲットにするような「非求職型」の若者に対して、どのようにコミュニティと出会わせていくか、どうやって外に出させるかということを考えていました。

韓国では「非求職型」の人たちは存在こそすれ、まだ数としては多くありません。就職を準備している人たちを中心に支援していこうと考えています。ただし、「非求職型」の若者たちに対してもその方向性を定めて、これから取り組んでいこうと考えています。

今年は情緒支援を中心に取り組もうと考えています。彼らは毎日不合格通知を受け取り、自尊心が落ちてしまっているのですが、社会からは若者だからエネルギーがあるのだと見られるのです。つまり社会的に見せなくてはならない自分の像と、実際とが大きく乖離してしまっています。大人たちの前では仮面をつけなくてはならない、それが精神的に非常に辛いものなのです。今年はその差を縮めていくような活動をしようと考えています。若者が自分自身の存在だけでも尊いのだということを認識できるようなエッセンスを、プログラムの中に取り込んでいきたいのです。若者たちが自信を得られるようになればと思っています。

センターのロゴは「ハグ」を示しています。若者をハグする、抱きかかえる、という思いが込められています。表に出てこない若者たちを抱きかかえて、彼らをつなげる役割を担っているのです。

質疑応答

以下は、スタディーツアー参加者である日本の若者支援の現場の実践者、学生からの質問です。

質問:お金は結局中止命令により支給が継続できなくなってしまったが、3000人とのつながりは残っており、彼らを抱きかかえているのでしょうか。そして3000人を一気にセンターに集めることは難しいと思いますが、どのようにつながりをもっているのでしょうか。

お金の支給は結局1ヶ月で止まってしまいましたが、我々の目的は彼らを支えるということでしたから、お金が出せない分むしろ他に多くのことをしました。もともとお金を支給するのは、若者たちの時間を稼がせるためだと話しましたが、結局お金が支給できなかったために若者たちはアルバイトに時間を割かねばならず、なかなか人を集めることができませんでした。

3000人の支援をいかにしたのか、という点についてお話しすると、我々はソウル市を8つの区域にわけ、それぞれに担当をおきました。そして地域ごとにYステーションという青年のためのスペースを設けました。また各地域の青年組長という担当がおり、先ほどお話ししたような取り組みを各区域の中で行いました。若者の生活圏に近いところで取り組みを行いたいという思いがあったからです。中央センターの周りで行えば確かにやりやすいかもしれませんが、若者たちはそこまで出ていくのにお金もかかりますから、住んでいる地域と近いところに活動拠点をもちました。

もう一つ、自分たちの住んでいる街をよく知ってもらいたいという思いもありました。自分が地域に根ざしているのだという安全感・安心感を感じてもらいたかったのです。各地域に出て活動を行うため、この中央センターはそれほど大きくないのです。そして各拠点も中央センターが直接管轄しているというわけではなく、地域の若者コミュニティと一緒にコワーキングスペースのようにして運営しています。ほとんどがフェイストゥフェイス、オフライン(対面)の関わりです。ただオフラインに出てきてくれるまでは、SNSやメールなどオンラインでのつながりももちます。各地域の担当は、一人で300人くらいの若者を受け持ちます。まずは一斉にメールを出し、そこに問い合わせてきた人に対しては詳しく話をします。

実際には1000人くらいがうまく出会ってつながることができました

スタッフはソウル全体で20人です。青年組長がまた別で20人います。青年組長は、若者たちの中から選ばれて活動する一種のボランティアで、何か起こったときには彼らのために動き、相談に乗る役割です。たいていは地域の中で若者運動をしているような人たちです。そんな彼らでも、若者たちに出会うのは難しいと言います。ですから我々のセンターと協力することは、彼らの活動のためにもなっています。

青年手当は青年議会の中で提案されたと聞いたが、このセンター自体は青年政策ネットワークの中にある組織ではないのでしょうか

青年政策ネットワークというのはネットワークなので、このセンターもネットワークの中にある1つの組織です。ただし運営に直接関係があるわけではありません。青年議会の中で提案された策を実際に実行するため、ソウル市が設立したのがこのセンターです。ソウル市がセンターを作り、民間委託をした先がここですから、我々は公務員ではなく、委託先の社団法人マウルの職員です。実はこの社団法人はソウル市の街共同体の運営も任されているなど、以前から悩みを抱える市民の支援を行なっていました。若者たちには法人がないため、法人格をもつ団体が委託を受けているのです。

青年議会の中での提案から支援が開始し、このセンターも設立されたとのことだが、以後青年議会から青年手当の実現などについて現状の確認や、さらなる議論はあったのでしょうか。

一度ありました。今年の青年手当制度の発展の方法については、青年議会とともに検討していく予定です。もともと青年議会での提案からできたセンターですから、パートナーとしてこれからも話し合っていかなくてはならないと思っています。

青年ネットワークというのは、もともとあるネットワークから自然に発展する形で形成されていくのでしょうか。加盟手続きやその管理などは行われているのでしょうか。

我々の団体では青年ネットワークとはパートナーと考えているので、登録とかどちらが上とかいう概念はありません。協力していく相手という感覚です。

最初に青年手当を行うとなった時、6000人が応募したといいますが、どのように困っている若者にリーチしたのでしょうか。

6000人を集めるのは難しくありませんでした。昨年この事業は大きな問題になり、毎日のように新聞にも出るようなニュースになったからです。若者たちやその親たちがこの取り組みを知って、申し込んできました。今年も「いつから応募が始まるのか」という問い合わせが来ていますから、きっと多くの申し込みがあることと思います。またソウル市も大きくこの取り組みを宣伝しました。バスに「ソウル市の若者の未来はソウル市がつくる」のようなキャッチコピーを載せていました。中央とぶつかって中止命令が出た時には、それを裁判に持ち込んだのですがその時のコピーは「若者の未来まで中止命令はできない」というものでした。ソウル市はそういったセンセーショナルなことも行う面があります。

手当というものがあったからこそ、若者たちは応募してきたし、周りの人もそういった若者がいるのだということを知るいい機会になりました。

それは違います。活動家たちに「一緒にやりましょう」と声をかけたのです。ただし、支援した若者たちの中で、のちに青年組長になった人はいます。

まずは大統領(当時のパク・クネ)が弾劾されたのですごく期待しています。韓国では首長によって大きくカラーが変わりますから、逆に言えばいまソウル市でこの取り組みができているのも、現在の市長だからなのです。

社会保障法で、政府の事業と自治体の事業が重複してはいけないということを決めています。それが重複するいう名目で中止されましたが、実際には重複する項目はありません。行政府でも「重複はない」と判断したにもかかわらず、政治的な意図のために中止されました。

行政執行という名目で中止命令が出されましたが、ソウル市は最高裁判所に対して控訴しました。判決は出ていないまま、行政執行状態が続いています。中央政府が混乱状態にありますから、きっと判決は出ないでしょう。ただ今年は5000人を対象にしようと考えています。挑戦的に、昨年よりも増やしています。昨年はテスト事業でしたが、今年は本事業に入っていきます。これからまた中央政府との交渉が始まります。

だいたい男性4:女性6で女性の方が少し多いです。女性の方が就職は大変なのです。また韓国の男性には2年間の兵役義務があり、手当の対象年齢は30歳ですから、その範囲内で街に残っている若者は女性の方が実数として多いという理由もあると思います。

実はスウェーデンにも似た状況があります。住居が足りず、失業率も高い状態です。冬は暗く、青年期を過ごすには辛いので、若者たちは国にいたくないと思っています。しかし、国の給付金が充実しているのでお金だけは持っています。そのお金を使って、どんどん海外に出てしまっています。これは若者たちにとってチャンスであり、例えばEUの中であればパスポートもなしで働くことができます。このモビリティの確保という点はEU特有で東アジアにはないものだと思っています。しかしスウェーデンの若者は最終的には母国に戻って来ます。子育てがしやすいからです。また子育てをするくらいの時期になれば、仕事の機会にもアクセスできるからです。スウェーデンのように、日本や韓国も「辛い若者期は外に出て、それでも子育てになったら戻って来たくなるような手厚い社会保障制度」を敷くことで、楽になるのかなと思っています。

それができたらすごくいいと思います。韓国は女性が働くのも、子育てをするのもすごく難しい構造です。自分で全てをやらなくてはならないような風潮がありますから。韓国でも少子化問題が深刻化しており、子育てのしやすい社会を作ろうという声はすごく高まっています。例えば待機児童問題も深刻で、子供を預けるためには二年前から申し込まなくてはなりません。妊娠中から申し込まなくてはなりません。

3000人のうち、ソウル市出身者と市外出身者の割合はどのくらいなのでしょうか

その統計は取れていません。昨年実態調査を行いましたがその項目はありませんでした。ただし手当を受けるためにはソウル市に住んで一年を超えていなくてはなりません。一人暮らしの人たちは地方出身者が多いと考えられますが、一人暮らしの割合は30%くらいでした。親と一緒に住んだり、兄弟と住んだりしている人の方が多かったです。他の自治体でも青年手当を導入しようと検討しているところがあり、実際にセンターにも話を聞きに来てくれることもありますが、彼らも「ソウル市では、市外から来た若者で手当を受けている人はどのくらいいるのか」という質問がよく出ますね。ただソウル市のお金ではソウル市の若者を支援するというのが基本です。

キヒョンジュさんはもともとなにをされていて現在にいたるのでしょうか

私はもともと社会福祉士でした。社会福祉の現場にいましたし、国会議員の補佐官もしていました。社会福祉の政策を作ることに携わったり、街共同体の事業にも関わったりしていました。その経験から、若者たちとの関わりも多かったので、この取り組みの担当に選ばれました。5年前に街共同体の訪問で横浜に訪れたことがあります。そこで相手の代表者に「10年前に戻ったら何をやりなおしたいですか」と尋ねたところ、「若者たちの支援をしていた」と即答されました。いまでこそ横浜市は若者支援に取り組んでいるけれども、もっと早くからこれを行うべきであったと。

私も社会福祉の仕事をしながら、地域の若者たちに出会う仕事もしていましたが、今本当に必要なことは若者たちと何かすることだと感じてはいました。私は今30代後半ですが、後輩たちをつなげる架け橋のような役割になりたいと思っています。より良い社会を若者たちと創っていく仕事がしたいです。

(インタビュー終了)

追記

今回の視察の通訳とコーディネートをしてくださった、大草さんから以下のようにコメントをいただきました。

Special Thanks

記事協力 : Erika Hayashi

通訳者:大草みのる

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