日本の若者の社会参加とヨーロッパとの違い。

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magictriangle

先日、ルーマニアからの日本の若者参画を調査にきた友人と話していて思ったことをいくつか。おもしろかったのは、いくつかの研究者や実践者を訪問してすでにインタビューと資料集めを終えた彼に、これまでの発見について話してもらったところ、その疑問点や問題意識が非常に僕のそれと一致したこと。

・「若者」「青少年」の定義が明確ではなく年齢の定義もばらばら。(欧州だとだいたいの国で、若者政策を担当する省庁がありターゲットである若者の年齢を明確にしている。スウェーデンだと13〜25歳。EUレベルだと15~25歳。ルーマニアだと14〜35)

・それに伴い、若者政策が省庁・部門別であり非常にビューロクラティック。(欧州では若者政策を担当する省庁がある。これらは近年,EUが若者政策として力を入れてきた分野であり、国際連合や諸々の国際機関も若者向けの政策を打ち出していることによって、若者分野でもlegislationとInitiativeが明確になった)

・関連して、トップダウン、セントラリゼィション(中央集権的)が半端ない。上が変わればがらっと変わるが、時間がかかる。(ヨーロッパは比較的分権的)

・ユースワークを大学教授がやっている。これは彼が会った人達がそういう人たちだったということもあると思いますが、ユースワーク自体が市民権を得ていないことの象徴かと。

・日本の若者の生活のほとんどが、「学校教育」と「労働」にしめられており、「社会参画」することが、「教育」と「労働」の分野に極端に偏っている。例えば、余暇活動に対する参画すらも、学校の範疇で「部活動」に義務的に参画をさせられる。ひるがえって欧州では、学校の部活動というのがほとんどない。体育館がない学校も多い。つまり学校が終わったら、もう家に帰るか地域のクラブ活動に参加するか、ユースセンターにいくしかない。学校が終わったら地域にいくのである。労働に関しては、日本では「社会人」になることは「企業人」になることが一般的であることが、このことを端的に示している。(政治参加の分野は、模擬選挙や若者自身の啓発活動、メディアを通じた活動がかなり活発になっているが、高校終了年齢の18歳から投票・被選挙権を保障しない限り、絶対にヨーロッパには追いつけない。そろそろ法的に僕らの世代の位置づけを変えていかないいけない。)

・欧州だと、学校外での活動というのはノンフォーマル教育としてEUの政策で位置づけられているために、様々なオプションがある。これを担うのがユースワーカー。僕が一番びっくりしたのはヨーロピアンボランティアサービス(EVS)という機会で、単純に言うと、数ヶ月にわたる企業やNGOなどへのインターンシップ期間中の生活費・旅費・食費・居住費・ちょっとした小遣いを全て出資してくれるというやつ。それと欧州各国内で開催されるユースワークやノンフォーマル教育活動への参加費・旅行費・食費なども全て出してくれるっていうやつ。

・しかしいくら、政治参加ばっかっしやっていても意味がない。というか、日本の若者自尊心がめちゃくちゃ低いのは「意思決定」をしてもらえれなかったから。自分たち自身のことに対して。家族、学校、進路、仕事に関して、自分の人生に関して。「このように生きることが人間的!」と決められているくらいむさくるしい。男は企業戦士になって、車、家を買ってローンの返済と子どもの学費を稼ぐ、女性は家事を支え、子どもは「受験勉強」していい企業に入るためにいい大学にいくようにプレッシャーをかけられて、放課後は塾にいって遅くまで勉強。思春期のエネルギーが有り余ってる若者に(やりたくもないのに)「やらなければいけないこと」として、受験勉強と部活がいい意味で機能している。(犯罪率が低いのはおかげさまで?)しかし、社会参画とは「意思決定」が基本であり、決められていることをしているだけでは自尊心に結びつかない。

・経済的に貧困状態にある若者がそのようなライフチャンスを勝ち取ることが非常に難しくなっているにも関わらず、今はより人生の選択が狭まっていってるような印象。「大学に100人入学したら12人が中退し、13人が留年し、残る75人のうち就職できるのは45人で、3年続くのは31人。いわゆるストレーターは31%」(山本繁,2012) という時代にも関わらず。要は、僕ら若者の生き方の多様性を完全に否定している。ヨーロッパでは、国も人種も背景も多様であるために若者の多様な生き方を尊重している。例えばスウェーデンでだと、大学に入る前にギャップイヤーを取って数年働くか、旅に出て自分のやりたいことを探る。大学卒業後も働いてまた勉強したくなったらまた大学院にいける(無料で)。それがキャリアアップになる。家庭の経済状況がよくなくて高校から働いていたとしても、大学(無料)に入るには高校の成績をある一定のレベルにすればよく、その試験は高校を卒業してからでも何度でも受けられる。つまりやり直しが効く。高校だけでなく、市民学校というところでは特定の職業スキルを身につけることができ、これまた無料、フレキシブルに受けることができる。僕は「生涯学習教育」の本質は、このようにして労働力・就労力のの滋養と社会経済階層間の流動性を高めることだと思う。スウェーデンは2000年代半ばの貧困率のOECD国際比較(30カ国)で、相対的貧困率の低さ1位(日本は27位)、子どもの貧困率低さ2位(日本は19位)。貧困の連鎖を断ち切るには、親の就労力・養育力の不足が主な原因であるとために、僕はこう思う。

ルーマニア出身の彼と話していたのに、まるでスウェーデン人やドイツ人と話しているときと同じような議論になった。それが象徴しているのは、EUという枠組みというかヨーロッパは非常に多様でありつつも、若者政策、ユースワークという分野での法制化、具体化という面での整備が進んでいるということ。そういったスコープで日本のそれを観ようとすればまあ厄介なわけだ。

静岡でユースワークを初めて、ストックホルムで現場にもぐりこんで、ベルリンで一望するようなことをやってきたわけですが、僕は生涯かけてでもヨーロッパのユースワーク、若者政策の動きを追っていきたい。全コピじゃなくて参考にしながらにでも、日本の若い人たちが生きやすい社会を作るために若者政策とユースワークの可能性を広げたい。そのときの欧州の事例を示せる人になりたい。こういう話しばっかしていると、すぐに「出羽の守」と一蹴されるわけですが(不思議なことにアカデミックな先生方からも)、そう呼ばれても若者の状況をよくできるために少しでもヨーロッパの動きが参考になるのであれば、それは諦めるのに足りる十分な理由にはなりません。勝手にどうぞ。

しかし一方でこの、出現したてでかついい意味でも悪い意味でもガラパゴス化してきた日本のユースワークと若者政策を世界に発信したい。ヨーロッパにいてわかったのは、いい意味でも悪い意味でも「日本」という極東アジア島は未だにまだよく知られていないのではないかということ。とくに社会科学分野では。国際比較の結果で色々と注目を浴びるようになったけれども、日本のコンテクストを逸脱して解釈されたりということをよく見かけた。また、ヨーロッパではこれから少子高齢化を徐々に迎えるという状況の中で、日本はとんでもない超少子高齢化社会を迎えているわけで、このデモグラフィはやたらと注目されている。それは課題解決先進国となれるということ。OECDなどが国際比較をして様々な分野で比較をして政策開発の役に立っているけれど、僕はユースワークや若者政策部門でも、日本を欧州のその比較の土俵に載せたい。世界中の人がわかる言葉で。ただ輸入するだけじゃなくて。

そして長期的には、日本のユースワーク、若者政策のディシプリンを確立していきたい。EUと欧州評議会がThe European Knowledge Center for Youth Policy というのを協同でもっているのだけれど、ここでは出版物の共有や、研究者や共著者、プロジェクトのパートナーシップの登録や検索、各種イベントの情報ができるようになっている。これの日本版 or 東アジアバージョンが構想できればすばらしい。

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