もうこれ以上、 若者を「大人が変えてあげられる」と思うのをやめませんか。 若者を「人生の」消費者にするのやめませんか。

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どうも。今月は人前で話す機会が6回ほどあり、さすがに移動に疲れてきました。

先週までは、静岡に今月で3回いきました。そして大学の後輩が企画した以下のイベントに参加し、スウェーデンのまちづくりと若者参加について話しました。

わかものまちづくりフォーラム 人口減少社会に対応するための『若者』と『まちづくり』を考える わかもののまち静岡…

….いやあ、ぶっこみすぎたあ。

自分でも、これまでにないくらい想いと感情のこもった講演になってしまいました。

準備していた原稿は完全に無視、時間もオーバー、マイクなしで声を荒げ、暑くなったのでTシャツになり、会場から意見を勝手に募り、「〇〇はオワコン」を連発し続けました。汗

以下の動画では穏やかに話していますが…。

終わったら汗だく。

これまで聞きに来てくれていた人からも、今日は「ぶっこみましたね!」の反応。

言葉に少々とげがあり、気分を害された方がいらしたら申し訳ございません。

なぜこうなったのか

なぜそんなふうになってしまったのか。

まずぼくの準備不足もあります。30分の講演なのにスライドを30枚作るとかどうかしています。だから、要点を伝えることにフォーカスするしかなかったのです。

もうひとつは、会場の雰囲気をぶち壊したかったからです。

今回の会場は、スクール型の(学校の席のような)席で、ぼくと別の方と2本連続(ぼくは後半)で講演をし、パネルディスカッションをするというもの。参加型ワークショップに慣れてきた、ぼくとにとってこの形式は緊張しやすい「戦地」でした。

開会後、主催の挨拶+講演だったので、場が「間延び」していました。また午後なので眠くなる時間帯に講演をずっと聞かせるとか、「学校かよ!」っと心の中で叫んでいました。

しかも、若い高校生や大学生の参加者も多いのに。

なんで、この若い人が話せる場になってないんだ?

場の「重心」が偏りすぎていないか?

眠っていたファシリテーションマインドが、覚醒したのです。

「ああーこれは、やばい。おわった。これはもうぶっこむしかねえ」

そうして始まった講演だったのかと思います。

伝えたかったこと

講演で使ったスライドはこちらからどうぞ。

短い講演の中で、ぼくが伝えたかったことは、この通り。

まちづくりにおける「真正さ」とは何か?

まず、「どうして日本のまちづくりは、経済的繁栄ばかりなのか」ということです。ぼくも大学生の頃は、まちづくりといえば「商◯街活性化」のようなことしか頭にありませんでした。

しかし、スウェーデンの田舎のストロームスタッドという人口6000人程度の小さな街の市長から話を聞いて、自分の中でパラダイムシフトが起きました。

Signature, Elin B. - http://www.flickr.com/photos/beckmann/22564514/

とても綺麗な街です。  | Signature, Elin B. – http://www.flickr.com/photos/beckmann/22564514/

この自治体は、1990年代から市民との対話を重ね、まちづくりをしてきました。オスロとヨーテボリの間にあるので、バケーションにはうってつけの地域なのですが、持続可能性を考慮し、別荘の乱開発を避け、自然豊かな景観を守ることを市民と決めたのです。

なぜなら、市長さん曰く

「真正(genuineness)」さを問う、まちづくりとは「持続可能性」と「民主主義」に立脚するものである

からです。”Democracy comes first”と繰り返し述べていた市長さんの言葉は、ぼくにとってとても新鮮でした。

これがぼくの日本の「まちづくり」に対する違和感の発端です。

この後、講演ではスウェーデンではどのようにして「民主主義」を市民と作り上げているのかについて、政策と事例を紹介しました。

「大人が若者を変えてあげられる」と思わないこと

「まちづくりにおける若者参加」のパートでは、クリスティンハム市の、若者参加の事例を紹介しました。そして、スウェーデンの若者政策の歴史的転換点から、「良い参加のために必要な考え方」を紹介しました。

ひとつは、「大人(社会)が、若者を変えてあげる」という発想は、本質的な意味において若者に権力を託していいないということです。スウェーデンの若者政策の始まりは20世紀初頭ですが、若者政策が国の政策に位置付けられたばかりのときは、若者を「社会問題」とみていました。「どうしたらモラルのない街にたむろしている若者どもを、私たち大人が変えてあげることができるのか?」という発想のもとに、俗称「ギャングボーイ委員会」が発足したのです。

しかし、この発想を転換する問いかけがその後ありました。

スウェーデンの1945年政府報告書の議論の問いかけ、

「そもそも、どうやって私たち(大人が)若者の余暇活動の選択に影響を与えようというのか?」

がそれです。スウェーデンはここから、大人(社会)、教師、ユースワーカーと若者との権力関係を組み替えることが始まりました。「若者はダメだから、わしが面倒見てやるよ!」というパターナリスティックな大人の関わり方に対する、疑問だったのです。

若者を「自分たちの手のうちに収めよう」とするのではなく、もう任せてしまおうと。

大人が変に関わろうとするから、若者の主体性もなくなるし、創造力もなくなるんだ、と。

これを機に、若者に資源(助成金、ユースワーカー)と空間(施設)を託すことが一層強化されました。そして「若者は社会の問題ではなく、リソース(資源)である」というスウェーデンの若者政策の理念の1つになっていったのです。

若者を人生の消費者にしない

もうひとつは、1981年の政府報告書「Ej till salu」からです。消費経済が拡大し、福祉政策も充実して、社会が豊かになっていく中で、若者が「消費者化」していることに警鐘を鳴らすエポックメイキングな報告書です。

その中の一節がこちら。

「若者が、商品や物品の、さらには自身の人生の『消費者』になってしまい、結果として自身の人生をも自分で決めることができなくなってきている」

つまり、若者が目の前の商品やサービスの消費ばかりをするようになってしまったということです。若者をターゲットにした、魅力的なテレビ番組やファッション、その時の流行が、若者を「お客さん」にしたてあげたのです。「客であること」に慣れてしまった若者が、何も意思決定できなくなってしまい、終いには「自分自身の人生をも自分で決めることが出来なくなってしまった」ということです。

これ以降、スウェーデンの若者政策は、若者で組織される非営利の活動などに助成金をつけるようになります。それが市民(Active Citizen)を育てるからです。

以下、このメッセージをうけた参加者の壺阪さんの感想。

若者参加とは「若者自身に関わるあらゆることを若者が意思決定をすること」と定義できますが、これに照らし合わせると、消費社会の拡大が若者参加を後退させる1つの要因になっていないかということになります。(もちろん消費もひとつの参加の形態ではありますが)

考えてみればこれは日本でも全く同じです。今は経済格差が広がってきていますが、それでも若者には、ある程度つかえるおこづかいがあり、ショッピグモールはどこにでもあり、スマホもあれば、バイトだってできる。若い人向けのファストファッションに、「学割」が使えるカラオケだって、手頃なカフェだって、日本中どこにだってあります。

そんな豊かな中では、とくに「意思決定 (参加)」せずとも生きていけてしまうのです。

進学だって、就活だって、「消去法」で選べていませんか?

「選択肢をチェックして、『検索』をクリック!」で、決めていませんか?

テレビ画面に映る放送や、流れるSNSのタイムラインが、あなたの価値観をつくっていませんか?

すべての人が「目的・やりたいこと」を明確にして意思決定する必要はありません。しかし、主体的な意思決定を私たちはどれだけして、ここまでしてこれたのでしょうか。ただ、サービスの消費者としてぼーっと生きてきて、ここまできてしまったのではないでしょうか。

人口減少社会では、若者の排除が自動的に進む。だから尚更、若者参加が必要

人口減少社会においては、若年人口の絶対数が減ります。一方で、高齢者人口の割合は高くなります。高齢者の選挙投票率は高く票数も多いので、政治家は高齢者の票集めをします。すると、社会保障費は高齢者優遇政策になります。すると、若者が政治を選ぶ基準がなくなります。だって、自分たち向けの政策が少ないから。

ますます政治を「自分ごと」としてとらえられなくなった若者は、政治に冷めきり、関心がもてません。すると政治家は「ほらやっぱり若者は政治に興味がないんだ」と言いだし、また振り出しに戻るという悪循環。結果的に、若者が政策の対象から排除されることになります。

欧州議会の若者政策の枠組みという報告書では、若者参加が必要な理由を5つ述べています。

そのひとつが、「若者が排除されなくなるから」です。Garison の研究では、「若者が大人にチャレンジできなかったり、意見表明ができない状態は、結果的に若者の脆弱性を高めることになり例えば、経済的搾取、子ども兵士の徴兵、児童売春につながる 」と結論づけています。良質なサービスや政策を作るには、対象者の声を聞けばいいものになるなんて、当然のことですしね。

だから、あえて若者を政策の意思決定に巻き込んでいくことが必要なのです。

若者参加が必要な理由、ヨーロッパ,スウェーデン

さらに、報告書ではこう指摘しています。

欧州議会の提言によると、家庭、学校、職場、余暇活動、若者の活動で、民主主義を教えることを怠ると、若者は政治に対してひがみっぽくなり、投票率は下がり、政治家、政党、政治的な若者団体への不信感が募る。さらに、ある研究によると市民教育の経験がない若者は、同調圧力により極端な思考に陥り、暴力的な政治活動をしやすくなる。

あれ?「政治に対してひがみっぽくなり、投票率は下がり、政治家、政党、政治的な若者団体への不信感が募る」ってまさに、日本の状況じゃないですか。

だから、あえて若者が参加する場を作らなきゃいけないんです。

だから、若者団体や、学校外の活動に投資して、民主主義を学べる場を作っていかなきゃいけないんです。

もう、これ以上若者を「人生の消費者」にするのはやめませんか。

若者は、大人社会の「御用若者」になるのはやめませんか。

若者が本当の「社会の作り手」となるために。

Comment

  1. Jacalyn より:

    No problem, but humour (even if I don’t get it – apologies, I ha72;&#8e1vnt read many of your comments) always has a core of truth. Is it important that this site keeps away from scores ?