月刊社会教育の6月号で寄稿しました。
ユースワーク特集で「何がユースワークで何がユースワークではないか?」と踏み込んだ内容を書きました。以下、節の見出しになります。
- 欧州における「ユースワーク」の確立
- ユースワークの欧州評議会の定義
- 諸刃の剣のユースワークの「多様性」
- ノンフォーマル、インフォーマルな学びとは?
- 主体と対象
- ユースワークの形態
- ユースワークの2軸
- スポーツ、学校教育、ソーシャルワークとユースワークを区別するもの
- ユースワークの「考え方」をヒントに
この度、月刊社会教育 編集部より掲載許可をいただいたので、一部を共有させていただきます。
今回は最後の二節だけ以下に掲載です。
スポーツ、学校教育、ソーシャルワークとユースワークを区別するもの
ユースワークは若者にかかわるさまざまな領域と隣接しているため、なかには、「どこからがユースワークで、どこからが別の活動なのか」が時々わからなくなる人も多いだろう。それは、ユースワークは2つ以上の領域の中間に存在したり、ユースワーク的なアプローチが他の領域でとられる性質があるからである。
スポーツを例にすると、ユースワークとスポーツを分かつものはその、「目的の階層と活動の開放性」にある。パフォーマンスを向上させ、卓越した成績を収めることだけに特化した選抜があるスポーツ活動は、ユースワークとは見なされない可能性が高い。他方、習熟度を問わずあらゆる人にひらかれ、仲間づくりや個人の成長を第一目的とし、好成績を収めることが二の次のスポーツは、ユースワーク的であるといえる(European Commissionほか2014、60頁)。
学校教育のなかで行なわれる活動であっても、ユースワークと見なされるものは、若者を自発的に惹きつけ、ノンフォーマルな教育方法で、個人的・社会的成長を目的としたものであれば、学校で行なわれるユースワークということになる。
ソーシャルワークは、予防と社会的包摂を目的としユースワークと近い関係にある。しかし、若者の参加が義務付けられている場合は、ノンフォーマルの手法を用いたソーシャルワークとなる。ユースワークであるためには、若者の参加はあくまで自発的でないといけない。
ユースワークの「考え方」をヒントに
ユースワークの理解が容易ではないのは、子ども若者に関わるさまざまな実践や施策が、その時々の社会の文脈で自由に語られてしまうからであろう。実際に、日本におけるユースワークの概念は、児童福祉、青少年教育や若者支援の文脈で都合よく解釈され使われてきてしまった。特に2000年代は若者支援の文脈が強かったので、フォーラム型を置き去りにして就労による自立支援のユースワークが「移行型」で理解されてきたのではないだろうか。欧州でも同様のことは起きておりそのことを「ユースワークの道具化」と警鐘を鳴らし、本来的なユースワークのアイデンティティに立ち戻ることがこの間、欧州のユースワーク関係者が取り組んできたことだ。
こども基本法に基づきこども家庭庁が設置され、「こども真ん中社会」を謳い、いよいよ子ども・若者の「権利」が位置づけられた。若者に関する支援や社会教育のメニューは多様に取り組まれてきたが、若者の参画が未だに限定的なのは、一つに若者を対象とした社会教育や支援の実践内における若者の参画(ユースワーク)が十分ではないからではないだろうか。つまり、子ども若者を支援や教育の対象としてのみ扱い、実践者の大人が支援や教育を施すという関係性に陥っているのではないかということだ。実際に、青少年教育施設での若者の参画の機会が限定的であることや、運営主体の高齢化・ホモソーシャル化が明らかになっている(両角2022)。
「ユースワーク」という用語の認知度があがることを願いつつも、それによって近接概念や領域が排除されるべきとは思わない。ユースワークの「考え方」から学び、日々の実践・施策、そして若者と、どのように向き合うかが求められている。
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