スウェーデン留学記
今回はこんなテーマで書いてみることにしてみた。
ズバリ、スウェーデン留学時の私の財政状況の全公開である。
親からの仕送りは「学部まで」と決めていた
その前に私のスウェーデン留学時代について簡単に説明しておく。スウェーデンには静岡の学生をしていた時に、一度休学をして1年間だけ私費留学をした。その後、ドイツのシンクタンクで新卒で数ヶ月働いた後に、ストックホルム大学の国際比較教育研究課程に合格して、スウェーデンに戻った。
この間(つまり静岡の大学に戻った時点で)、スウェーデンでどのようにして食い繋いでいけばいいか色々策をめぐらした。その理由に、 親からの仕送りを大学院進学以降は貰わないように決めていたからだ。 学部時代の留学中は親からの仕送りに頼っていたこともあり、これ以上負担してもらうことはできないと思っていたからだ。 また経済的に独立して自分の力で「自活」することによって、精神的にも自由になれると思っていたので、この意志は固かった。 その為だったら、現地で日本食レストランでも、ラーメン屋でバイトしたっていい覚悟ではあった。
奨学金、全落ちしたよね\(^o^)/
そこで私は、ありとあらゆる奨学金を申請してみることにした。ただし、給付型で返済不要なものに限定した。というのは、この頃からアメリカで奨学金のローン返済ができな学生が急増したことが社会問題化しており、日本でもこのような状況になることは近いだろうと踏んでいたからだ。 第一、「返済」に縛られてその後の人生を自由にできなくなることは嫌だったからだ。
そういうわけで給付型の奨学金を徹底的に調べ上げた。給付型の奨学金が受給できると、月10万円前後が支給される。中には、毎月、学業の報告が義務づけがあるものもあったが、それでも貧乏苦学生には十分である。最終的に申請した3つの奨学金は、2つは財団の奨学金で、もう1つはスウェーデン政府の奨学金であった。
最終的に、スウェーデン政府奨学金のみ面接の運びとなった。最後の数人に絞られた時点で、東京のスウェーデン大使館にて面接をした。
また、奨学金ではないがエラスムスムンドゥス (Erasmus Mundus)という欧州連合 (EU) による世界各国を対象とした留学奨励制度にも申請してみた。これは、3カ国のヨーロッパの大学院を2年間で通学して、修士号を3つとれる、という超優等生向けのエリート養成プログラムだ。私は、スウェーデン・ノルウェー・イギリスの社会福祉系の大学院に通うプログラムと、ブリュッセル、ウィーン、コペンハーゲン、マドリードに通学して都市社会学(Urban Studies)を専攻する 4cities というプログラムに申請をした。
エラスムスムンドゥスには、志願者の中で希望する人は、学費免除+生活費の支給をしてくれる奨学金制度にアプライすることも可能であった。これなら経済的な負担から自由になれると!ということで、申請したエラスムスムンドゥスも奨学金制度付きのプログラムに限定した。もちろろん、世界中の優秀な学生の中でさらに選りすぐりの学生のみが奨学金を受けられので、厳しい戦いとなることは重々承知していた。
結果、全落ちである。
スウェーデン政府奨学金に落選した理由は、おそらく当時、私が既にサンボ(スウェーデン人と住所を共にして同棲をしていると取得できる法的ステータス)であったからだと思われる。なぜならサンボだと、スウェーデン人と同じように個人番号を取得し、国の保険が適用されるようになり、社会保障の対象となるのである。それゆえ、大学の学費もスウェーデン人と同様に無償なのであった。(それもあってスウェーデン大学院進学も現実的となっていたのだ)察するに、サンボであると学費の負担もする必要がないという点で、選考の優先度は下がったのではないかと思われる。
エラスムスムンドゥスも全敗であった。惜しくも4citiesのほうだけは補欠合格となったが、その後、合格通知をもらうことはなかった。奨学金制度にアプライしていなければ受かっていたのかなあ…。
というわけで、八方塞がりになった私は食い扶持となる仕事探しを余儀なくされた。
ラーメン屋で働くことになるのか…?
カッツカツの2014年の収入
さてそろそろ本題に入ろう。ここから丸裸にしていく。
まずは、静岡県立大学を卒業してドイツで働き始め、スウェーデンの大学院に進学した2014年の収入状況を晒す。
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