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阿鼻地獄(Avicii)が「先送り」の末に世界に残したもの|Avicii 伝記の書評をしました

この記事は約16分で読めます。

28歳でその生涯を閉じたスウェーデンの伝説的DJであるAviciiの伝記がこの6月に青土社より出版されました。(以下)

すると、ブログフォームに週刊読書人からの書評依頼メールが届いているではありませんか。

Aviciiの伝記を読んでみた

実際に作成したプレイリストがこちらです。

Aviciiの書評はこちらから

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このたび、執筆をおえて記事が公開されましたので共有します。なお週刊読書人からは全文掲載の許可を得ています。


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完成原稿は上記の通りなのですが、実は公開していない文があります。当初、1600字で依頼されたところを6700字以上書いてしまったこともあり、完成原稿は大幅に文字数を削減したものだったのです。というわけで、以下では読書人に掲載した部分も含めた完全版を掲載します。


阿鼻地獄(Avicii)が「先送り」の末に世界に残したもの
ー若き才能あふれるDJはなぜこの世を去ることになったのか

はじめに断っておくが、私は音楽の専門家でも演奏家でもない。社会科学を専門とする大学の教員である。Aviciiとの接点といえば私がスウェーデンの若者研究をしていることと、DJやダンスミュージックをかじっていた過去があるくらいだ。そんな私に彼の評伝のレビューが来たのは2023年7月のことだった。「ご専門とは異なる書評依頼」としたうえで、私を選んでいただいたのは、自身の雑記ブログに彼の死を追悼する記事を過去に書いていたからである[1]

本レビューを書くにあたっては、まず筆者の背景や経緯を述べる。社会科学では研究者自身が世界を読み解く「レンズ」となるので、そのあり方や立場が「読み方」に大きく影響を与えることによるバイアスが常に付きまとう。それをメタ認知し、研究者自身が1つの世界を読み解くレンズとなることで、研究の独自性が担保され表現の幅が広がる。

次に北欧のプログレッシブハウスの興隆の背景を描写した上で、2つの問いを本書の手がかりにして検討したい。第一の問いは、Aviciiの楽曲の特殊性である。何が彼の楽曲をスペシャルなものにしたのか。なぜ彼の曲は他のダンスミュージックとは異なるのか。第二の問いは何が彼を死に至らしめたのかである。

筆者のAvicii経験

私のAvicii経験は、現在の研究キャリアの先駆けとなる2011年冬からのスウェーデン留学から始まった。もともと、日本の大学生時代からナイトクラブでバイトをして、クラブミュージックに慣れ親しんでいた筆者でも、彼の曲を初めて耳にしたのは渡欧してからであった。留学前に働いていたナイトクラブの楽曲はレディーガガやT-Pain、ブラック・アイド・ピース、ブルノマーズ、LMFAOなどのU.S.ポップスが主流で、欧州のアーティストとしては、David GuettaやDaft Punkがそれらの楽曲に混ざって流れていたくらいである。筆者は、96年から東芝EMIが発売していたDancemaniaシリーズが収録する欧州のユーロビート、テクノ、トランス、R&Bなどのダンスポップスを聴いて育った。DJに憧れてナイトクラブで働き始め、ターンテーブルの基礎的な動作も習得するなどしていたが、これといったきっかけをつかめずに、渡欧することとなった[2]

スウェーデンのプログレッシブハウスをはじめて耳にしたのは、私の留学先となるストックホルム大学の社会科学系学生が所有し運営するナイトクラブCafé Bojan においてである。大学駅(Universitetet)を下車して出口右の丘に位置するカフェは毎週木曜日にクラブイベントを開催しおり、いつの間にか常連客となった私が、聞き慣れない曲に気づいたのがスウィディッシュ・ハウス・マフィアの『One』や『Calling』だった。Aviciiの代表曲である『Levels』のあのキャッチーなメロディが頭から離れなくなったのもその時であろう。それから筆者は日本でDJをしていたとハッタリをかましてBojanで毎週DJをする生活が始まり、それからの数年間は欧州のEDM(エレクトロダンスミュージック)全盛期の中で過ごすこととなる。ティムとは年齢が1歳異なるだけでほぼ同時代を生きていたことも私のレビューの眼差しのひとつとなるだろう。2回目のスウェーデン留学時には、ティムが住んでいたストックホルムのエステルマルム地区の学生アパートに住んでいたこともあり、彼の少年期の描写で登場する通りやショッピングモールもほとんどわかることも、この本の読解を容易にした。

当時David GuettaがAviciiをフィーチャリングしていたことでまた彼の名前を知ることになる。アルバム『Nothing but the beat』に収録されている『Sunshine』でフィーチャーされたのがAviciiだった。このアルバムのラインナップには他にも、ニッキーミナージュ、Flo Rida、Taio Cruz、ルダクリス、スヌープ・ドッグ、アッシャー、will I am、などのわかりやすいアメリカのBillboardチャートで上位を占めるビッグネームが名を連ねている。ゲッタは、Aviciiの火付け役だったといわれているが、この時から「パリピのクラブミュージック」から少しづつ、いわゆる「Avicii的何かへのトランジション」が、私個人にも世界的にもあったように思う。

本書もそのようなダンスミュージックの変遷について触れられている。1970年代にアメリカのシカゴで生まれたハウスは、欧州に輸入されるとレイヴパーティーブームを引き起こす。フランスでは先述したDaft PunkやDavid Guettaのようなディスコ音楽をサンプリングしてフィルターをかけた楽曲への昇華が起き、英国ではダブステップ、オランダではアーミン・ヴァン・ビューレンやDJ ティエストが牽引したトランス音楽が人気を博した(40頁)。このようにヨーロッパではダンスミュージックが有象無象に地域ごとで独自の発展を遂げていた。

北欧のプログレッシブハウスとAvicii

他欧州と比べて当時のスウェーデンのプログレッシブハウスは発展途上であったとされているが、他とは一線を画する表現も静かに生まれたいたという。「多幸感があると同時に爆発的」なハウスミュージックを牽引したのは、スティーブ・アンジェロをはじめとするアクスウェルとセバスチャン・イングロッソであり、後に彼らが組織するのがスウィディッシュ・ハウス・マフィアであった。「スウェーデンのシーンがいかに小さく、だが、いかに重要かを強調するため(42頁)」に名付けられたこのトリオ名こそが、当時のスウェーデンのプログレッシブハウスの立ち位置を象徴している。Aviciiはそんな彼らの楽曲を研究していく中で、独自のスタイルを確立していくことになる。

Aviciiの楽曲は総じて、陰鬱さ・感傷さに加えて、マイナスイオンをまとったような「透明感」、そこにスウェーデンが古くから得意としてきたポップの要素が融合しているといえる。記者の西山リオはAviciiの音楽の特徴を以下のように表現している。

「Aviciiのメロディの一番の醍醐味は、『Avicii節』ともいうべき、せつなくノスタルジックでメランコリックな調のつらなりだ。それは80年代ポップ風であり、世紀末風でもあり、そしてなにより、2010年代初頭のストックホルムの路地裏の雰囲気にパーフェクトにあっていた」[3]

特に初期の楽曲はそのような北欧感が漂っていたが、後期ではさらに幅を広げていくこととなる。スウェーデン留学から帰国して東京で生活をしていた筆者は母に2015年10月リリースの『Stories』をプレゼントした。驚いたのは、エレクトロミュージックを積極的に聴くようなタイプではなかったにも関わらず、その後数年間に渡って彼女がAviciiを聴き続けていたことである。しかも、Aviciiはボーカルではなく、基本的に楽曲制作をしていたことを知らずして、この北欧のプログレッシブハウス気に入っていたのである。そのエピソードが物語るのはAviciiの音楽の「普遍性」である。そこには、世代や地域を超える「何か」があるのだ。何が彼の楽曲を特徴づけたのか。その手がかりが本書には散りばめられている。

ティムの生まれと気質

ティム (Tim Bergling)は1986年ストックホルムにて俳優のアンキ、スコッテス社社長のクラースのもとで生まれた。音楽好きで裕福な家庭で育った身分でありながらティムは独学で音楽を習得した。最初に購入したのはヤマハのシンセサイザーであり、同時期にギターを手に入れたティムはエリック・クラプトン、アニマルズを練習して歌っていたという描写からも彼の音楽の基礎教養は家庭の中で形成されたと察することができる。ティムの性格は、その派手な功績とは裏腹にどちらかといえば「控えめで周りの様子を伺う」慎重なタイプで、頑固な一面があり、自分だけの空間にいる時間を必要とする子だった(16-17頁)。

思春期には他のスウェーデンの青年が好んだ流行りのゲームやドラマ、アニメに興じる派手さのないオタクだったという。どちらかというと研究者気質である彼は、後にリハビリ中に試したカール・ユングの理論をベースに持つ性格診断でも論理学者型(INTP)であることが明らかになっている。内向的でありながら直感的で思慮深いとされるこのタイプは、他人に共感することが苦手であるが、科学者や技術分野で傑出し「新たに考えた表現を生み出し社会を前に進めていく(303頁)」タイプだという。アインシュタインやニュートン、ソクラテス、そしてユングもこのタイプに当てはまる。

Aviciiの音楽制作のはじまりとスタイルの確立

そんな彼が、楽曲制作をはじめたのは2006年の秋である。当時、「ボットのアンナ(Boten Anna)」という内輪ネタとして作られた楽曲がスカンジナビア史上最大のダウンロード数を記録した。陶酔的なメロディを放つこの曲はダサさもありながら女子中学生を惹きつけている、と感じた高校生のティムはこの楽曲の制作過程を当時公開されたばかりの動画共有サービス「YouTube」で知ることになる。そこで紹介されていたのが、ベルギー製の音楽制作ソフトウェア「FLスタジオ」である。ティムはパソコン1台で楽曲制作ができる革命的なこのソフトウェアの虜となり、ベッドルームに引きこもるデジタルミュージックの研究者への歩みを進めた。楽曲スタイルの方向性としては、初めは友人をからかうできるだけ「イライラする曲」であったが、はじめてネット掲示板に楽曲相談をした時には「女子中学生向け・シンプル・ユーロダンステクノ、たぶん」(43頁)と投稿していた。ダンスミュージックはドラムとベースを基本とする作曲方法が主流な中、ティムは直感的にメロディの作成から取り掛かり、そこにシンセやドラム、エフェクトをトッピングしていった。

このような制作スタイルが彼の基本となり、そこに音楽の研究者(オタク)としての気質が相まった。もうひとつ彼の楽曲の特徴を拡大させたのが、「越境」の要素である。初期から最期に至るまで、さまざまなアーティストをフィーチャーしたり、または自分自身がフィーチャーされたりする中で楽曲制作を行なってきた。サンプリングやミキシングが当たり前のEDMの性質ゆえともいえるが、ことAviciiにおいては異分野・異ジャンルの音楽を探求し「空白地帯を目指す」ことが可能な審美眼が備えられていた。コールドプレイやマドンナなど世界的に著名なアーティストとのコラボレーションから、ピンク・フロイド、マイケル・ジャクソンなど自分が圧倒された世界観を持つ古典的作品や、ジンバブエのカリンバの音、坂本九の「上を向いて歩こう」の口笛パートや琴まで、彼にとっての楽曲のインスピレーションは底なし沼だった。それを支えた、Aviciiの実質的なプロデューサーであり楽曲の壁打ち相手であった、アラシュ・パウラノリの功績はあまりにも大きい。

阿鼻地獄から抜け出せなかったティム

2018年4月20日、ティムの死が世界的に報じられ、のちに自死していたことが明らかになった。享年28歳。なぜこの若き才能あふれるDJはこの世を去ることになってしまったのか。本書は、世界的DJに躍進していく途上の彼のもがきと苦しみにも光を当てている。死に至るまでに、3回の大きな入退院をしており、その間に過剰な飲酒、医薬品(特にオピオイド)の摂取をしては依存し、さまざまなリハビリの療法(カウンセリング、筋力トレーニング、瞑想など)を試しては回復をし、を繰り返していた。回復と依存のループの原因は、過剰なライブのスケジュールによる多忙が、仕事と余暇の境界線を無くし長期的なストレスを引き起こしたといえば、それまでであるが、本書を読めばことはそう単純ではないことがわかる。

人との交流がストレスになる内向的なこの音楽研究者が、自身の気質を押しつぶしてまで無理してステージに上がったのは、他方でティム自身も自分で作りあげた世界観を人々と共有したいという、誰もが持ちうるエゴがあったからだ。それは3回の入院後に、仏教の教えに則りながら瞑想をするも、「宇宙の意識」に到達したいという「煩悩」に最期まで縛られていた姿と重なる。プレッシャーとエゴの間での揺らぎはやがて大きなストレスとなり、約束事を守らなかったり、天邪鬼な態度をとったり、薬物や飲酒に手を染めることで、本来の課題と正面から向き合うとせず「先送り」を繰り返した。

自身のそのような傾向に気づいたティムは、その葛藤を世に知らしめるために2017年にはアルバム『AVĪCI (01)』をリリースしている。これはAviciiの名前の由来である八熱地獄で最も苦しみが激しい「阿鼻地獄(avīci)」を表し、それがアルバムのテーマになっている。地獄のスパイラルのような生活の中で主人公は、苦しみを金や高価な腕時計、家、タトゥー、などに癒しを求めるも助けにはならない。最終的には自分の感情と人生を自分でコントロールすることで、地獄から出ることは可能であるというメッセージを伝えようとした(324頁)。

ここで彼が言う自分自身をコントロールしている感覚は心理学の用語である「統制の所在(Locus of control)」と呼ばれる概念に近しい。「統制の所在」とは、アメリカの心理学者ジュリアン・B・ロッター(Julian B. Rotter)が1954年に提唱した概念である。自分の状況を自分でコントロールしているという感覚を「内的統制」、自分の状況が自分以外の外的なものによってコントロールされているという感覚を「外的統制」とわけて、それらの感覚の有無と程度の変化が人々の間でどのように起きているかを、長年の心理学者らが研究により明らかにしてきた。大学生グループを対象とした研究の結果によると、1960年から2002年の間にアメリカの学生の感覚は「内的統制」から「外的統制」へ大きく変化し、2002年の平均的な若者は、1960年代の若者の80%よりも「外的統制」であることがわかった(Twengeほか, 2004)。つまり、自分の人生が他者や外的なものによって決められ、自分自身で決めている感覚を持てない若者が増えたということである。

同じ期間にアメリカの若者のメンタルヘルスの問題(不安、うつ病、自殺、無力感など)が増加していることは無関係だとは言い難く、ティムもまたメンタルヘルス問題の当事者であったといえよう。数千人を前にした世界規模での数々のライブ、仕事上の他者との付き合い、ソーシャルメディアでの賛美と罵詈雑言、時に辛辣な楽曲のレビューなど、「外的統制」の阿鼻地獄の中で、自分の人生を自分でコントロールしたい「内的統制」を求めた。

彼自身、カウンセラーとの対話、自己啓発書や仏教の教えに触れる中で、自身が自分をコントロールしている感覚から遠ざかっていたことをメタ認知している。遅刻や、仕事の約束の放棄、試し行動などの「煙幕」を立てるこれまでの自分の行動は、周りをコントロールしたいという欲求の現れだったことに気づいていく。瞑想に没頭したのも自分自身をコントロールすることを強く望んだことの現れとも考えられる。

もうひとつの阿鼻地獄からの魔の手は、オピオイドの存在である。中枢神経系に影響を及ぼす化学物質の一群であり、鎮痛や鎮静の効果を持つことで知られているが、誤用や乱用による健康問題を引き起こす可能性が近年では指摘されている。ティム自身は米国居住時に医者によって処方され、依存していた時期があった。スウェーデンでもある時期まではオピオイド[4]は普通の鎮痛剤と考えられていたが、若者の間ではハイになれるという噂が広がり、数年後には大麻の次によく使用される違法ドラッグとなった。実際にスウェーデンは世界で4番目にオピオイドによる死亡事故が多いという(401頁)。

ティムは結局、阿鼻地獄から抜け出すことはできなかった。「外的統制」と「内的統制」の狭間の行来、オピオイドの摂取など複合的な要因が自死に繋がったと推測する以上のことはできない。

本書は、ティムの28年間の光と闇を描いた貴重な作品である。音楽業界や音楽史、若者のメンタルヘルス問題に関心を持つ人、そして2018年4月に時が止まってしまったAviciiファンにはとくに一読をおすすめしたい。止まっていたAvicii経験が再生され、これまで聴いていたAviciiの楽曲に新たな光と影の両方をもたらしてくれるだろう。ティムはこの世にはもういない。それでも、Aviciiの曲はかかり続け、今日も誰かの支えとなり、自分で決めいていく人生の素晴らしさを伝えている。

脚注

[1] スウェーデンの世界的DJ、Aviciiが突然死。彼の何が世界を熱狂させたのか? https://tatsumarutimes.com/archives/20555
[2] スウェーデン留学を志したのは、同国の若者の社会参画施策に関心を持ったからであるが、それというのは私自身が学生時だから若者支援の活動をしていたからである。
[3] 【2016年】スウェーデン人DJ Aviciiは、なぜこんなにもすごいのか?【来日記念】 https://web.archive.org/web/20200926082315/http://www.rionishiyama.net/?p=7625
[4] スウェーデンのトラマドール、米国のオキシコドンのこと

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