なぜ日本人には「自分のものの見方」がないのか?|書籍紹介:末永幸歩「13歳からのアート思考」

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末永幸歩さんの「13歳からのアート思考」よかったです。西洋美術史の入門書なのですが、それ以上に物事の見方と考え方の起点を広げてくれます。

13歳からのアート思考

多くの人は美術館で作品を鑑賞するときに、解説文や作者情報と照合するように作品をながめる「確認作業」をしてしまいます。私もそうでした。

そうではなく美術鑑賞のときには、

「何がみえてどう思った?」
「そう感じたのはなぜ?」

と自問自答するだけでいいですよ、というのです。そこには他者の目線、評価の眼差しもありません。作者のバッググラウンドすら知らずして、作品だけと応答するというコミュニケーションでも良いというのです。

2歳児の子どもが描いた絵に対して親が「何を描いたの?コロッケ?」とすぐに聞いてしまう大人の例が紹介されていました。子どもはクレヨンで遊んでいただけなのに、「何かしらのイメージを表現しようとしている」という色眼鏡でみてしまう私たち大人。私たちは何かしらの基準となる「色眼鏡」で物事を見ることに慣れすぎてしまっているのかもしれません。

「趣味、何したらいいですか?」
「おすすめのインターンあります?」
「ボランティア何したらいいですかね?」

と、つい誰かにこんな質問をしてしまうことはないでしょうか。

これは私達があまりに、他者の目線や社会の規範を内面化していることの現れではないでしょうか。社会規範への「忖度」的行動が続くと、個人は消費され終いには押し潰されてしまうこともあります。そんなことが某〇〇省やブラック企業や子育ての現場で常態化していないでしょうか。

私たち自身の生き方が「消耗している」ように感じるのは、もしかしたらこれが原因かもしれません。美術作品に限らず、あなたが対峙したあらゆることから、感じたこと、それによって気づかされた自分の価値、それから何を考えたのか、という応答こそが生をもたらすのではないでしょうか。

「アート思考」の本質はここにある、私は理解したのですが、そうだとすればそれは意思決定の過程=「参画」そのものであり、社会規範にとらわれて行動しがちな多くの私たちに必要な、思考・姿勢ではないかと改めて考えさせられました。

ヨーロッパで芸術や文化活動が盛んなのは、人間の生の営みへの理解の違いがあるのでしょう。日本は、ボーッと生きていると自動的にそれらが削ぎ落とされ、人がロボット化するような社会です。

ニューヨーク近代美術館MoMAでいつか「日本」が展示されてしまうような日が来ないことを願います。

 

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