#学校無理かも 日本の学校教育に対する違和感3つ

学校教育
By: ajari - CC BY 2.0

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NHKスペシャル シリーズ 子どもの声なき声(2)「“不登校”44万人の衝撃」を観て、改めて日本の学校に対する違和感を覚えたのでまとめます。

1. 自由時間すらも学校で抱え込む日本

まず子ども・若者の生活に学校が侵食し過ぎていることです。「学校で」何でもかんでも問題を解決しようと抱え込もうとするので教員が忙しくなるということが起きていると思います。

子ども・若者の学校以外の自由な時間は基本的には放っておいて良いのです。何故なら「自由時間」だからです。本来は自由な余暇の時間である部活も、もはや学校のプログラムの一部となっていないでしょうか。ヨーロッパでは放課後の活動は基本的には学校外ですし、部活動のような学校を拠点とする活動は少ないです。

2. 教育の消費主義化

2点目は、日本では教育の競争化と消費化を促す「受験」の存在がやはり大きすぎるように思います。塾にいくのが当たり前ですが、北欧で日本の塾の話をすると驚かれます。

競争主義的な受験は学びの外発的動機づけ(キャリア・親からの期待)を促すことになります。何のために学ぶかというと、「いい仕事に就くため」とか「親からの期待」ということが起きがちですが、それが動機の外部化ということです。それが当たり前になってしまうので、内的な動機(興味)で子どもは学ぶことを忘れてしまいます。

外発的な動機づけ(親からの期待)を背負った子どもの学びの質は結果的に、低くなると言われます。なぜなら学びに対する姿勢が「教室で一番になれなかったらどうしよう」と不安にすり変わるからです。

統一試験ではなく、自分が何を学び、どう学びたいか本人が決める学びの場を増やせばこれらを少し変えることができるかもしれません。番組でも紹介されていたオランダのイエナプランは、このような参加型の学びの機会を促すことになるでしょう。日本は参加型教育をしない国であることも明らかになっています。

3. 教育費が子どもの親からの自立を遅くする

もう1点は教育費に関してです。日本では教育の費用を家庭が負担することを当たり前と思っている人がほとんどのようです。高端先生のこちらデータからもそれは明らかです。

しかし世界的にはそうではないし、大学の学費も英米、韓国などを除けばそこまで高くないのです。

日本では家庭は教育費を貯めなければならず、それを子どもに投資します。こうして子どもと親の教育にかんする経済的な結びつきが強まります。ここで親が子どもの人生の選択に影響を与え過ぎなければいいのですが、ヘリコプターペアレントのようになってしまう親もいるようです。

子どもの進路に親が口を出し、子どももそれに応えようとすることが当たり前になると、子どもも親の顔を伺うことか普通となり「共依存」に近い状態となる可能性もあると言えなくもないでしょう。

親が子どもの人生に口を出すのは、社会教育行政の原則の1つである「金は出すが口を出さない(support but not control)」と相反する考え方です。大学の教育費の無償化の一つのメリットはこの「親と子どもの経済的な結びつき」を弱め、子どもの親からの自立を促すことにもつながるのではないでしょうか。教育の無償化で最も自分が言いたかったことはこれだったかもしれません。

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