いつも帰省すると、透き通った空気の中で、世俗とはかけ離れた修行僧のような生活を送る両親と過ごすことで、浄化された気分になります。癒やしとなる一方で、しばらくすると「世俗」ぽさをを求める「黒い部分」のぼくがわきあがってくるのです。
毎年、1月2日は小・中学校で親友だったブレイクダンサーの友人の命日なので同級生で集まることになってるのですが、教育家庭で育ち比較的真面目でおりこうだった僕に、「世俗」と「世界」を教えてくれたのが彼だったのです。
彼と出会ってなければ、ナイトクラブで遊べるような人ではなかったでしょう。
だいたい田舎だと、エロ本とかの出所って友達の兄貴ってが多かったと思うんですけど、まさに彼のお兄ちゃんがそれでした。エアガンで打ち合うとかダンスダンスレボリューションをしに、自転車でゲームセンターにいくとか、他にも「悪い」遊びもいろいろ教えてくれました。
いわゆる「ごたっこぞう」のあり方を教えてくれました。
小学生の頃の僕は、剣道、スケートをやり、親の英語の習いごとで忙しかったです。そんな中で、小学5年生のときに彼に売れつけられたカセットテープ(500円)がぼくのもう一つの居場所を作ってくれました。中身はダンスマニアX7 のコピー。
ダンスダンスレボリューションで使われている多くの曲がここからきています
(小5でカセットテープ売りつけとかどうかしてるなと今では思うけど..)それまで洋楽といえばフォークソングやナーサリーライムばかりだった牧場育ちの僕には衝撃的でした。コマーシャルなユーロポップスとのはじめての出会いだったのだけど、なんて楽しいんだと「素」で思いました。
どハマリした僕はそれから祖父の牧場のアルバイト(時給1000円)で稼いだお金を、ユーロポップスに投入。ダンスマニアシリーズ(1アルバム2500円とか)もそうだけど、最初に買った音楽アルバムはE-Roticのセクシャル・ヒーリング。
よく↓こんなカバーのアルバムを12歳で買ったわな…
E-Rotic はドイツのアーティストで歌詞は、すべてただの下ネタ。当時、下ネタにハマっていたわけではなく、純粋にこのユニットの曲がいいと思っていました。出会いはダンスマニアシリーズのDiamond 最後のしめが「愛しのビリーボーイ」で、そのビートとラップとメロディが頭から離れなくなったのです。中1のときには英語の歌詞をカンコピしてましたね。(もちろん音声だけで歌詞の意味は何もわからず)
ちなみにこちらがその曲です。
「ウィリー…ビリーボーイを使って…!」という歌詞です。(ビリーボーイとはドイツ売られているコンドームブランドです。)
(なんでこんなに高いんだ!)
小6で部屋のコンポからこんな曲を流しまくる子を持つ親の心境ってどんなだったんだろう…ホントごめんね笑
中1の夏休みにアメリカのイリノイ州に単独ホームステイをしたのだけど、その時にも最近聞いてる洋楽だといってホストファミリー差し出したのがこのアルバムでした。やさしいホストはBest BuyでこのCDを持ってE-Roticを探し回ってくれました。
懺悔します
閑話休題。
ダンスマニアシリーズのもう一つの衝撃は1アルバムに約30曲近くの当時流行っていたユーロポップスが収録されていたこと。しかもノンストップ。僕もノンストップで曲をつなげようとして、カセットテープでCDプレイヤーをガチャガチャしていました。このときから選曲とミックスをするDJに憧れはじめたのです。
それから時は流れ、静岡県立大学に入学。大学2年でやっぱり自分がやりたいことを大事にしよう、と踏み出した先がクラブでのバイトでした。DJできるかも的なのりで。それからターンテーブルも購入。本格的にDJをするようになったのはスウェーデン留学をしてからでした。
この話の続きでは、スウェーデンでどんなDJ生活をしていのか綴りたいと思います。