誰しもが「熱い先生」ではないから教員の労働環境を整える

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「教室で何をどう教えるかということに教育学者は関心を持つけれど、その外側の大きな問題を解決しないと、教員がこれ以上持たなくなっているということ」
https://www.kyobun.co.jp/news/20181204_02/

社会福祉やNPOの現場の「支援疲れ」も同じことかもしれません。特に想いが強い人に顕著ではないでしょうか。

教員、支援者の持続可能性を高めないと、結局「できる先生」や「熱い支援者」という個人の力に依存してしまいます。そうするとその人達がいなくなったときにどうするのかという問題が起きます。だから、「普通」の先生が、長く深く(リカレント教育受けれるなど)続けられるような職場環境作りが大事なのです。

誰しもが熱い先生でもない(そういう人が嫌いという生徒もいる)ので、教員の多様性が高まれば、当然、働き方も・生き方も多様化します。すべての人が同じ熱量で、同じ力量で同じマインドセットで働いているわけではありません。それを尊重することから教員の画一化の脱却が始まり、生徒も多様な先生に出会えるようになるのではないでしょうか。

個人の力量依存から脱却するには、教職員の労働環境の「社会化」が必要と思います。それは「熱量の高い先生」からそうではない先生への価値観や働き方の一方的な「押しつけ」を防ぐことにも繋がるのではないでしょうか。この前提には教員とあれど、人は異なるのだからという合意があります。

生活困窮者支援をしている友人が、「支援者が辛いことを辛いといえない状況はおかしい」といっていたのは、辛いという状況への想像力(例えば働きすぎている感覚の麻痺)が弱まっでしまうからなのではないかな、と思いました。気づけばその人も働きすぎることを当然視して、それを新人教員に課すというような。

その想像力を忘れないように、さらに高めるためには、やはり余暇が必要で教員や支援者が自身がライフを充実させていく必要があります。

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