ヨーロッパで変わったキャリアの常識|不確実性の高い時代の根を張らない生き方のすすめ:その1〜

スポンサーリンク

 

2017年の暮れに、母校である静岡県立大学にて講義をしたので、その講演録をシェアします。キャリア概論という授業で、僕の師匠である津富(ツトミ)教授に招かれての授業でした。

いただいた題目は「根を張らない生き方」。 

自分で考えたのではなく、この題目で話してくれとお願いされたのです。しかしこのテーマ、なかなか言い得て妙で、物理的にも精神的にも「根を張らないで」生きてきたぼくのこれまでの人生を振り返るいいテーマとなりました。これまで試行錯誤し、岐路でどんな意思決定をしてきたかを、こんな感じでお話しさせていただきました。

というわけで今回は、この授業の前半部分をお届けします。しかもスライド付きです。
それではいきましょう。


「モロズミさんの肩書どうすれば良いですか?」

津富教授
津富教授

それでは両角(モロズミ)くんお願いします。

たっぺい
たっぺい

よろしくお願いします。

このようなタイトルでお願いします」って先生から来たんですよ。それで今、肩書がブロガーと研究者ってわけなんですけど、最近の悩みはですね、本を書いたりとかだれか新しい人に出会ったりとかで「両角さんの肩書どうすれば良いですか?」って聞かれることですね。それで、「まあ、お好きにどうぞ」っていうと、肩書にブロガー・研究者って書かれるんですよね。

まあ意味不明ですね。はい、そんな感じです。

まあ、こんな生き方もあるんだよってことです。あの~今までこの授業で公演されてきた方って、大体どこかの団体に属してる方が多かったと思うんですけど、僕の場合はフリーランスでずっとやってきてます。なので、まあ今日はその辺の話も出来たらなって思います。

自己紹介をします。両角達平と申します。88年生まれなので、今は29歳です。長野県出身で、静岡県立大学(以下:県大)を出ています。

フリーコンサルトってなってるんですけど、コンサルトって良く聞くじゃないですか。そう聞いたら、大体「怪しい人」って思ってください。いろんな仕事を持っているっていうことです。コンサルタント系の会社でコンサルタントやってますっていう人は別ですけど、フリーでコンサルタントやってますって人は大体いろんな仕事やってる人です。それで、「実際どんな仕事をしてるの?」って聞くと、「うっ」ってなっていろいろ教えてくれるので、もう一歩踏み込んで聞いてみるといいですよ。

そうなると、僕らは大体「えーっと」ってなるんですよね。なんで、まあこんな感じで色々と生業を作っています。それこそ、イトウヒロシさんっていう方がここで前話したと思うんですけど、 あの人に僕も影響をすごい受けてて、 それで仕事を作ってます。まあ文章を書いたりもそうですけど、 まあ調査研究もやったりとか、スウェーデンも行ってたので、 スウェーデンの視察だったりとか 、通訳やったりだとか、翻訳もやったりだとか。 っていう感じになりますね。

で、まぁ社会活動も色々やってまして、 県大の学生団体もそうですし、 学外の団体もそうですし、まあそういうNGOだったりとか、海外も問わず、ほぼボランティアでやっています。ブログで「Tatumaru Times」というブログがあります。 まあそれで、「たつまるっていう名前じゃないんですね」って結構言われるという非常にめんどくさい名前になってます。なので、最近ではブログでもたっぺいって自分を自称しています。

さっき津富先生(以下、先生)も言ったように、 最近スウェーデンの首都にあるストックホルム大学を卒業しまして、 教育学研究科の国際比較教育というのを2年間勉強して、修了したばかりです。 ここになんか東京大学って書いてありますけど、 まあ去年いたんですね東京大学に。 まあその話は後でおいおいします。 まあその前は県大にいました。

そうですね。著書に 「スウェーデンではなぜ81%の若者が投票するのか」 て書いてあるんですけど、まだ出ていません。 一年半前から出る出るって言われているんですけど、出ていません。でも Amazon には載っているので是非皆さん予約してください。

ブログは今、僕のベーシックインカムになっています。広告とか載せるとブログって、 結構色々入ってくるんですよね。 まあ、かと言って月にうん百万とか、そういうレベルじゃないですよ、全然。でも、留学の時からずっとつけてきたブログで、 まあいろんなところと連帯しながら 、スウェーデンの若者参画とか 、ヨーロッパの生活だったりとか、 あと北欧の生活だったりとか、 書いてきたりしています。 なので是非皆さんいいねしておいて下さい。

最近やってることは、ブログにこれまでの視察だったりとか取材した時の記事がいっぱいあって、 音声データもいっぱいあるんですね。 それをひたすらあげまくるみたいな事もやってます。 それで、これ手伝ってくれる人も募集しています。 あと、まあ一応ね、修士論文も提出し終えたので、それで研究論文とかも学会とかに投稿できるようになったので、頑張って書いたりとかしてます。勉強会とか色々参加したり。vote ITとか そういうプロジェクトがスウェーデンであって、それを日本版で出来ないかなってやったりしています。 まあ、あとはさっき言った取材の通訳とかね。

それで今日は、最初前半の60分でこんなことを話します。最初は僕のこれまでの小中高と大学とスウェーデン留学と、その中でどうやって意思決定をして進路決定をしてきたかっていうのを、その中で抱えてきた葛藤だったりとかっていうのを皆さんとシェアしていきたいと思います。後半の30分では、津富先生と学生さんとチャットというか座談会をしていきたいと思います。 まあ、このような感じで質疑応答の時間にしますので、是非質問とか考えといてください。

転換点その1:やりたいことを大事にしようと思った時

やりたいことって書いてありますけど、難しいですよね。やりたいことってそもそも何ぞやって感じですし。僕自身も、色々悩んでここまで来ました。その中でも転換点があって、「自分のやりたいことを大事にしよう」って思う瞬間があったんです。なので、その辺の話を最初します。

僕は長野県茅野市という小さい町の出身です。えっと、ラボパーティという、英語と日本語で劇をやる 活動をしていました。それこそロミオとジュリエットとか 一寸法師とか腹ぺこ青虫もそうだし・・・それを、英語と日本語でセリフを覚えて、音楽を聴きながら劇をやるっていうのを、お母さんが先生をやっていて、それを自分が年長のときから自動的にやっているていう感じだったんですよ。 そこが国際交流とかもやってたので、中学の時に1ヶ月間アメリカにホームステイというか、「一人で行ってこい」ということで、行ってきたりしました。

中学の時はバレーボール部に入っていて部長でした。 まあ、成績は良かったです。 結構何でもできるみたいな感じで、結構中学の時はイケイケでした。高校の時は、地域の中でも一番入るのが難しい進学校に行って、まあ周りが天才すぎて、完全にやさぐれましたね。数学下から二番目みたいな。

 

津富教授
津富教授

俺と一緒じゃん。

 

たっぺい
たっぺい

え!そうなの?あなたはでも、東大行ってるからね。

 

津富教授
津富教授

333人中、なぜか下から2番目だったから。数学。学校の試験で。100点満点中8点みたいな。

 

たっぺい
たっぺい

それ相当だな!まじで?

 

津富教授
津富教授

まじだよ。途中なんにも分からなくなったもん。

 

たっぺい
たっぺい

ちょっとこの人にマイク渡そうか。すげーなそれ!先生と会って8年ぐらい経つけど、初めて聞いたよそれ。まあ、僕もそんな感じだったんですけど、大学は国際系に行きたいって思ってたんですよ。

中学高校の時っていきなり進路選択を迫られるじゃないですか。だけどそれって無理じゃないですか。そんな世界にも出てないし、社会にも出てないのに。 アメリカには言っていたけどアメリカしか分からないわけなんですよ。

だから自分のやりたい進路とか仕事とか決めろって言われたらもう軸がそれしかないわけですよ 。だから国際系で探していたんです。大学は国際系で絞りまくって 、教科も絞って 、横浜市立大学っていうところに行きたかったわけですよ。3教科でいけるところ。でも完敗しましたね。マークシートとか大嫌いで苦手なんですよ 。結果、センター試験の国語101点だったんですよ 。いやーはい。

それで浪人をして5教科7科目に増やしました。 リスク分散をして勉強をしていったら、一つだめでも何とかなるだろうって、わざわざ増やしたんですよ 。それまで、4教科しかやっていなかったのに。 増やした。だけど、センターでまたこけて、また3教科で行ける県大に行くっていう。何してたんだって感じですね。まあ要は、僕はあんまし要領は良くないですよ。センター試験とか。そういうのは分かりますよね先生?

津富教授
津富教授

ん~まあ、いわゆる、まるばつ的なものは弱いかもね。

たっぺい
たっぺい

そうそうそう。それで、まあ県大に来ました。

まあ皆さんと同じように第一志望で来たわけじゃないっていう。それで、大学一年のときは受験に失敗した劣等感に苛まれて色々な活動をやっていました。 入学したその日から、サークルの長に拝命されまして、色々やっていたんですね。学生団体活性化DDというのがあって、要は学生団体の活動を支援する団体だったんですけど、 そういう活動や合宿に参加したりしました。 あとは、世界一周サイクリストの坂本達さんの講演会を開催って書いてあるんですけど、これはうちの母ちゃんが地元で開催して、俺が高校の時に。それで「いいなー」って思って。俺もやりたいって思って静岡で企画したりだとか。とにかく色々やってたんですね。 だけど、東京や他の大学へ行った友達に引け目も感じていて、「なんだかな~」って思っていたんですよ。

バイトは講師をやったり 居酒屋やったりって感じでしたね。 でも、ここで転換点が起きます。まず最初に教職課程をやめることにしました。 まあ、親が教員をやっていたんですね。母ちゃんも 国際交流のことをやっていたりしたし。まあ、僕も国際交流をやっていたので、国際関係学部にきました。国際や教育が僕のテーマであって・・・いいんだけど、そこに僕の主体性はあったのかな?って。これは自分で決めたことなのか?と。それこそ、たまたまという家庭環境に生まれて、たまたまそういうことをやっていて、 たまたまそういう風にきたので・・・自分が本当にやりたくて、今までこういうテーマできたのかな?って思ったんですよ。

自分の将来のことを考えて。 しかも教職課程って結構大変じゃないですか。 なんかつまんない教育心理学の勉強とか ・・・っていうのもあって、色々考えたんです。そのときに、素晴らしい本に出合いました。山田ズーニーさんの『おとなの進路教室』っていう本です。

要は、自分の進路を考えるときには、フレームやレンズがあるっていうのが、その本に書いてあったんです。wantとmustとcanであると。この3つが重なるところに自分は向かえばいいんじゃないかって。大学時代っていうのは、一番時間があるときなので、一番重要資するべき点はwantだと書いてありました。社会人になると、やらなければならないことが増えるし、家族ができるとなおさらだと。だから、そうじゃない学生時代っていうのは、何でもできる時間が一番あるのでwantを大きく掲げて、やりたいこと をやればいいじゃないかって言ってて、「あ、俺は確かにwantを大事にしていないな」 って思ったんですね。

それで、canっていうのは自分のできる能力ですから。学生時代に身に着けることじゃないです。これからどんどん伸びていく部分ですね。あともうひとつ、『モチベーション3.0』ダニエルピンクっていうアメリカの経済学者が書いた本で、津富先生から「これ読んでみれば」って貸してもらった本です。この本には、これまでの時代のモチベーションっていうのは 1.0、それこそ、食べる・寝る・起きるみたいな。モチベーション2.0っていうのは、飴と鞭の時代 。要は、報酬があるから働く 、叩かれるのが嫌だから働くみたいな感じです。

バイトとかそうじゃないですか。 ダニエルピンクがいっているモチベーション3.0っていうのはそうじゃないと。 自主性・目的・成長のこの3つに基づいたモチベーションであると。 彼は自主性っていうものが一番大事だと言っているわけですね。是非見て頂きたいんですけど、 それを科学的に証明するっていう。これを見て確信して、「ああ、確かに僕には自主性がなかったな」と 思って、自分の自主性・主体性を大事にしようと思ったわけです。 ようやく腹を括って、やりたいことをやろうっていう風になりました。 それで教職課程をやめました。これは教職課程を取ってる人にとっては覚悟なんですよ。

それから、自分の本当にやりたいことをやろうとなりました。 それこそ、学生団体もそうですし。あと、中学生の頃からずっとDJがやりたかったんですよ。自分の興味があることをもっと勉強したいと思ったんですね。 大学2年の時からそれこそリア充時代だったんですよ。教職課程もやめて、今でも残っている学生団体のYECっていうサークルがあって、これは中高生のやりたいことを大学生が応援するっていうことをやってるんですね。シンプルに。

それも始めたし、「起業しよう」とかいう若気の至りとかもあって、 静岡の学校に通ったりしました。あとはクラブでもバイトを始めました。このクラブを見て「ああ、あそこじゃん!」ってなる人もいると思うんですけど、 Clud Ettiっていうのがですね、ドンキホーテビルの一番上にあるんですよ。 田舎から来ているんで、クラブとか夜の仕事とか分からなかったんですけど、 こう行ってみました。ここで2・3年ぐらい働きましたね。 今でも店長と社長とは仲良くしています。 ということで超イケイケでした。

大学三年になって、スウェーデンに出会いました。「スウェーデンのスタディーツアーに参加したらいいんじゃない?」って津富先生に言われて、 「え?スウェーデン?どこですか?」って感じでした。そしたらどうやらスウェーデンの教育だったりとか若者政策だったりとかを見に行くスタディーツアーがあって、そこがちょうど YECっていう活動で教育とか若者参画とかを勉強していたので、まあ、先進事例じゃないですけど見に行こうってなったんですね。それなので、まあちょっと親にお願いしてお金を出してもらって参加しました。

ここで初めてスウェーデンに行って参ります。 そこで衝撃を受けます。 とんでもない国があると。 ここでスウェーデンへの留学を決心しましたね。それで就職とかも考えず、日本の大学院に進学とかも考えず、とりあえずスウェーデン留学を目指して活動することにしました。学生団体を引退して、サポートのほうに回って、 それから学外のほうの活動に関わったりもしました。留学するためには、TOEFLっていう英語のテストが必要だったので、ひたすら英語の勉強をしました。バイトはまあ、 ひたすらクラブでしていました。 それが大学3・4年です。

なんとかストックホルム大学に行けることになったんですけど、恥ずかしい話がありまして、TOEFLっていう英語の試験がめちゃくちゃ難しいんですよ。 しずてつ(静岡鉄道) VS ええじゃないか(富士急のアトラクション)くらいの差があって。 12回受けて、TOEFLって120点満点で6割必要なんです。だから80点あれば良いんです。でも、初めて受けた時は点数全然足りなくて 57点とか60何点とかで。でも、スウェーデンに73点で行ける大学があって、最後に受けた試験で71点で足りなかったんですよ。

それで津富先生に、「あ~もうだめだ!デンマーク行きます。」って言ったんです。デンマークのほうに語学学校があって、そこも保険で考えていたんです。そうしたら、津富先生がスウェーデンのほうに推薦状を書いてくれて、そうしたら話が通ったんです。大学4年の後期から休学して行けるようになりました。スウェーデンのストックホルム大学の子ども若者学部に行きました。そこで、ブログを始めたり学生生活を発信したり、若者団体を訪問したり、DJをやったりもしました。ユースセンターっていう、僕が静岡に作りたい、若者が来て自由に活動出来るような場所があるんですけど、そこに念願のインターンシップに行けることになりました。

転換点その2:「偶然にひれ伏したよね」

転換点その2は、偶然に出くわしたよねっていうのがこれから起きていきます。まあ、これまでもいろんな偶然があったんですけど、 象徴的な話がここら辺から起きて、今に至ります。

転換点その2の1は、 スウェーデンでインターンを探しまくったんですね。それこそ、さっきの ユースセンターでのインターンを終えた後に、他にもないかなって探していたんですけど、そうしたらヨーロッパに若者政策を勉強できるヨーロピアンユースセンターっていうのがハンガリーのブダペストにあるという超マニアックな情報を見つけて。そのとき僕かなりオタクだったんですよ。 「ここめっちゃいいじゃん!ところでハンガリーどこ?」って感じだったんですけど。じゃあここで学んで学位とかもらったら完璧じゃんとか思って、このMAYESコンソーシアムプログラムっていうんですけど、そこにメールを送ったんですね。

そしたら残念ながら「今はもうやってないよ」という返事が来ました。 でも、その返事の文の最後の方に、このプログラムの運営団体であるNGOがベルリンで人を探していると。良かったらうちに来ないかって来たんです。ベルリンで、しかもお金を払うからって書いてあったんです。それで、ベルリンに行くことにしました。

ベルリンって知ってますか?ドイツの首都です。 僕は知らなかったです。それまで。行ったらすごく楽しくて、その団体で活動するのが。このやっていることを見ると「すごい堅そうだな~」って思うと思うんですけど、まあ5・6人でウェブを運営しているだけなんです。あとは、たまにワークショップをやったりとか、EUとか国連の仕事を任されてそれをやったりとかいうだけで。

ベルリンっていう街は非常に良い街で、 若者がいっぱいいて 、ストックホルムみたいにキラッキラしているわけでもなくて。まだまだ発展途上みたいなところもあるんですよ。 そういう意味でも、ベルリンでは本当に良い経験をさせてもらいました。 ここで有給のインターンを3ヶ月ぐらいしましたね。

それが終わって、県大に帰ってきて。 卒論を一生懸命書いて、提出して。その間、スウェーデンの大学院に行くことを考えていたんですね。それで、申請とかをして。修士課程も合格の知らせを受けたんですけど 、まあそれまでは、県大を卒業して数か月は暇だったので、その間またベルリンで働かせてくれないかっていうことで、またヨーロッパへ行きました。その時の僕の貯金は僅か10万円でした。10万円でも、まあ仕事もあったので、行って何とかなるでしょうと思っていました。

それで、スウェーデンでの大学院生活が始まりました。それはまあ大変でした。 グループワークとか課題とかめちゃくちゃありますし。 前期だけで論文を英語で2本書かされるんですよ。 それが4回続くみたいな。その間、授業もあってグループワークもあって。だからもうやばいですよ、本当に。その間、スタディーツアーもコーディネートしました。

僕のお金はどこから来ているのかっていうことなんですけど、奨学金受けたんですけど3つとも全部落ちたんです。 だからもう自分で働くしかないってなって。 そしたらたまたま、IT企業でスタートアップがあって、 そこで日本語の翻訳者を募集していると。それでそこで雇ってもらって。 基本的なベーシックインカムは入ってきました。それでたまにラーメン屋でバイトしたりとか。 DJもたまにお金出してくれていましたね。このときから、ブログでも稼ごうってなりました。

 

そうやって充実した大学院生活を送っていたんですけど、なんと強制送還されることになってしまいまして。一年半ぐらいスウェーデンにいて、学生ビザを更新しようと思ったら、それが通らず。 弁護士もつれて、移民高等裁判所まで行ったんですけど。それでも、弁護士に「いや、もう今回は帰ったほうが良い」ってなってしまって、返されました。別に犯罪とかなにもしていないです。

ここがある意味転機ですよね、僕にとって。 強制送還されるけど授業も全部受けたし、あとは修士論文書くだけだったんですよ。 でも仕事はスウェーデンでしていたので、どうしようか?ってなって。そこで会社に「日本で仕事をしてもいいですか?」って聞いたら、良いよってなって。まあ、やっていることは基本的にパソコンを使って文章を翻訳することだったので、どこでも働けたんです。それでリモートワークをさせてもらうことになったんですね。そこで、個人事業主として独立してもらわないとってなったので、僕はフリーランスになったんですね。それで、その時から東京に移ってフリーランスになりました。

あともう一つの転機がありまして、学業のほうなんですけれど、それこそ ストックホルム大学と東京大学は 毎年研究セミナーみたいなのをやってるんですよ 。東大の人がストックホルム大学に来てジョイントセミナーをやるんですね。 その時、東大から来てる教授に飲み会の席で「強制送還されることになってしまったんですよね」って話したら 、「あ~そうですかそうですか!」ってなって、後日「じゃあ、うちに来れば良いんじゃない?」ってなって東大に行かせてもらうことになりました。この教授はね素晴らしい先生なんですけど、多分この一言「こちらスウェーデンの留学生、モロズミくんねw」を言いたいから受け入れてくれたんじゃないかなって思います。なので去年一年間は、留学生として東京を楽しんでおりました。

えーと、まあこんな感じで色々な出来事があったんですけれど、その中で僕が何を大事にしてきたのかっていうのを話したいと思います。

色々な機会に足を運んで人にあってきたのかなぁと。それこそ飲み会でね、教授からオファーがあったようにね 。あと津富先生とも会って、「こういうのに参加したらいいんじゃない?」っていう風になって、こんな感じになったのかなと。とにかくいろんな人に会ってきたのかなって思います。 あとは、ちゃんと自分をプレゼンテーションをするっていうことですね。実際にその人に会って、お前は何者だっていうことをしっかり伝えると。他の人の目なんて気にしないで、勇気を出して伝えると。話しかけるんですよちゃんと。本当それだけでいいんですよ。ツイッターでつぶやくとかも良いかも知れないですけど、どっちかっていうと自分をプレゼンテーションして知り合うっていうことがまずあったのかなって思います。

ただ、ランダムさっていうのも一方で大事だと思うんですよ。自分の人生を計画だてるのも良いですけど、本当に人生って何が起きるかわからないですから。なので、真っすぐおうちに帰らないで、その中でも寄り道をして、「あ!こんな道あったんだ!」ってなって、変な道に行くっていう。 で、迷子になって戻ってこないってこともあるかもしれないけれど、それも人生の幅を広げるし。それで偶然が起きるかもしれないですよね。そういうことをしてきたのかなって思いました。

団体とかサークルとかバイトとかDJとか分野はバラバラなんですけど、僕の中では一致していて、昼は社会貢献活動をして、夜はクラブでバイトしていたんですけど、そこで出会う人達は全然層が違くて、面白いんですね。こういうことが、やっぱり自分の知恵を広げてくれたのかなって思います。

あとはね、先生今も仕事しているでしょ?こんな忙しく働かなくてもいいんじゃないかって思うんです。日本人は特に忙しいと思うんですよ。 それこそ、学校も結構忙しいじゃないですか。授業いっぱいあるし。僕も仕事していますけど、週に3・4日くらいは暇ですからね。っていう風にしておくと、何か集まりとかあるときにパッっと動くことが出来るんですよ。そうしたらビジネスチャンスとかも広がったりするんですよ。だから、あんまり詰め詰めにしないほうが良いですよ。

あとは、旅行とかも良いですね。自分の感性を磨く機会になります。こう、自分の頭の中に凝り固まったものを、 一回シャッフルするみたいな感じ。 この間もアフリカに行って「なんじゃこりゃ!?」って衝撃を受けましたし。そうすると、ひれ伏すんですよ。自分は何でもできるって思っていたけど、何でもできないわ・・・みたいな。自分のちっぽけさが分かるみたいな。やっぱり良いですよね。

転換点その3:自分のやりたいことがミッションと重なる時

もう一つ、僕が葛藤していくなかで皆さんに伝えたいなっていうのは、自分のやりたいなっていうのが自分のミッションになるっていう瞬間があったんですね。それが転換点その3になったんだと思います。それは、僕にとってスウェーデンに出会ったということです。スウェーデンという国はこんな国ですっていうのが、このスライドです。

まあ、北欧に位置していて、ノルウェーとフィンランドの間にあります。それで、 その下にデンマークがあります。国土はあの世に縦長で、他のヨーロッパの国と比べると大きい国です。 日本の国土の1.2倍の大きさを持っています。 だけど、人口が最近1000万人に達したので、 すごく田舎です。 基本的には。首都はストックホルム で、人口は100万人です。仙台とか京都ぐらいの感じかな。だから、東京都かと比べると全然田舎です。 EUには入っているんですけど、通貨は独自のものを使っています。ユーロは使っていません。公用語はスウェーデン語を話しています。 そして、英語が非常に上手な国です。 主要産業は、林業・化学工業・ITそんな感じです。

スウェーデンのことを新聞で見聞きしたりすると、 高福祉高負担で 最も幸せな国だったりとかって出てくるんですけど、実際このように引っ張ってくると、こういうことが出てきます。

本当に英語が上手で。 スウェーデン出身の会社でEducation Firstという教育団体があるんですけど、 日本にもある留学会社なんですけどね。そこが出している 英語が母国語じゃない国の英語習得ランキングを出していて、大体スウェーデンは1・2位なんですね。オランダとか北欧諸国はトップなので。老若男女問わず、英語が得意です。なのでスウェーデン語が分からなくても、英語が分かれば行けます。

あと、産休が16か月とれる。育児休暇ですね。日本ではあんまり取れなくて大変だと言われていますけど、ヨーロッパ諸国はこの辺がすごく保障されていて、労働日でいうと435日そのうち390日間は給料が保証されるということになっていて、もちろん産休を取って職場復帰してもそれで差別されてはいけないので、同じ給料が支給されます。世界で初めて子供への体罰を禁じた国であります。同性愛者に世界一優しい国ともいわれています。結婚と養子の法的枠組みもありますし。あと、世界一の保険医療を提供している国です。あと音楽大国で、それこそジャニーズとかキンキキッズの曲の作曲者の名前を見てもらうと、スウェーデン人っぽい名前が出てくるんですよ。音楽輸出大国なんです。これは、アイスホテルです。氷で出来たホテルがスウェーデンにあるっていうことです。

僕が教育とか若者参画とかが専門で来ているので、衝撃的だったのが、若者の活躍する国スウェーデンであると。スウェーデンの街中で話を聞くと、みんな「民主主義」という言葉がパッと出てくるんですよね。僕自身がそんなに民主主義のことを分かっていませんでしたから、それでまず衝撃を受けましたし。

あと、このグラフを見て頂きたいんですけど、スウェーデンと日本の若者の投票率を比較しています。赤が日本、青がスウェーデンで、縦の軸が投票率、横の軸が年齢層を表しています。日本は投票率が全体的に低いですけど、若い層が特に低いですね。スウェーデンは、に18~24歳の若い層でさえも80%を達成していると。そのくらいの投票率なんですね。スウェーデンの若者政策のハードルが低いことが分かります。僕も政治とか興味なかったんですけど、いろいろ勉強していく中で、こういう国があるんだって思いました。二十歳の時とか僕、投票してないと思いますもん。

スウェーデンのいろいろな団体を見る中で、日本と全然違うし、こんなに若い子達がなんでこんなにしっかりしているんだろうと衝撃を受けました。そういう意識レベルだけではなくて、実際、30歳以下の国会議員の割合が10%です。ちなみに日本は20代の国会議員がいません。 2014年に組閣された今の内閣には 、三十歳以下の大臣が5人入りました。

あと意識もやっぱり高いなって思うんですね。 住んでいる地域の自分自身に関連のある問題に影響を与えたいと思っている若者の割合が40%いると。日本だとあんまりそういう住民意識みたいなのがないじゃないですか。静岡に住民票を移したはいいけど、今回の知事誰だっけ?みたいな。町のこともよくわからないし。

スウェーデンだと若者政策っていうものがあって、その中で若者が影響力を高める ことを目標としていたりだとか、若者の声を政策に反映させるということが合意されているんですね。 若者団体の活動も非常に盛んですし。 そこをサポートする補助金とか中間支援団体とかもいっぱいあると。もちろん18歳で投票できるし、18歳で政治家になれる。 かつて18歳の国会議員を出した国です。こういうのをみて「うわ~!」ってなったんですね。最近だと少し知られるようになってきましたけど。

あとは、ヨーロッパで変わったキャリアの常識っていうのがあります。日本で育った僕らが考えるキャリアプラン とか進路っていうのは色々ありと思うんですけど、割と似たようなものだと思うんですね。受験競争があって、学びにはお金がかかりますし。大学で学費を負担するし。高校卒業してすぐ大学に進学しますし。大学を卒業して、就業を出来るだけ早くしようと。あと、労働環境がめっちゃブラックでみたいなのが常識だったじゃないですか。

ただ、向こうに行ったら色々違うと。スウェーデンはそもそも、宿題も大学受験もありません。大学はそもそも入学試験がなくて高校の成績で決まります。 高校の成績は大学を出てからでもいつでもあげることが出来ます。なので、やり直しがききます 。 それに加えて学費を徴収するのは違法なので、学費無料で大学に行けます。 誰でも入れます。

スウェーデンの平均大学入学年齢は25歳です。日本は19歳ってなってます。スウェーデンでは、僕らより6歳くらい上の人たちが大学に沢山いるんです。僕も大学院に在籍していた時、一番若かったです。こういうのは、アメリカとかイギリスとか見てても分からないんですよね 。

スウェーデンでは、高校出てからギャップイヤーっていうものがあって、バイトしたりとか旅をしたりだとか好きなことをやって、自分の学びたいことを見つけてから大学に進学します。基本としては、まあ大体30歳くらいには仕事を見つけて落ち着けばいいんじゃないっていう感じです。 だから20代は結構みんなハチャメチャですよ。「お前何やってんの?」っていう人がたくさん居ますもん。あと、残業しない。仕事もし過ぎないし、とにかく趣味を大事にしていますね。

大学に行きながら仕事をするし、お金を稼ぐし、子育てもするし、趣味も打ち込むしっていうのが、すごく若者に生きやすい社会なんだなて思いました。何で日本はこんなに生きにくい社会なんだろうとも考えました。 もちろんスウェーデンにも色々な社会問題はありますし、全てがキラキラしているわけではないですよ。 大変ですよ、冬が長くて暗い国なのでうつの人も多いですし。

でも「こういう国があるんだよ」っていうことを伝えていかなくちゃいけないなって思って、そこから学べることが日本にもあるんじゃないかと。これを伝えることを自分のミッションとしていこうと思う時がありました。それこそですね、ブレインヒューマニティーという関西のボランティアサークルをやっているノジマさんっていう人がくれた言葉がグッときて。

「他者と共に生きるということは、他者との関係性の中で 自分自身の役割を見出して お互いに必要とされる関係を構築することだと思う 。
そしてその関係性の中に自らのやるべきことが 存在している。
他者にとって自分がどうあるべきなのか 。
他者に対して自分は何ができるのか 。
その絶え間ない問いかけの中で自分自身のミッションが 見えてくるんじゃないか」

ということです。自分は何ができるか、自分は今までどんなことを見てきたのかっていうのを考えて、やっぱりスウェーデンに出会ってしまったし、これは他にやっている人いないしっていうことで、自分で勝手にミッションを見つけました。

ということで、前半をこれくらいにしようかなって思います。


いかがでしたでしょうか。

今回は、授業の前半部分をお届けしたので次回は、後半の教授と僕と学生との座談会での様子をお届けします。

Comment

この記事が気に入ったら
いいね!しよう
投稿を見逃しません