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デートでおごったら嫌がられる国だってあるんです。

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例えば日本で食事をしたとき。同席した人が、自分より若かったり部下だったり女性だったら、おごるもしくは多く支払うことが一般的ですよね。しかしその「常識」が嫌がられる国もあるんですね。

半年前の苦い経験をシェアします

デートというほどでもないんですけど、クラブで知り合ったスウェーデン人女性とストックホルムでご飯にいったんですね。ヒップ街にある別にそんな高くも安くもない普通のレストランに。で、まあ普通においしい食事をいただきまして。お酒を少々いただきまして。いい感じだったわけですよ。

それで、お会計をお願いして、カードで一括払いをお願いしたのでした。すると彼女は、「会計は別々でお願いします」と。「いや俺払うよ」とよくある展開でやりとりをしても、「いや大丈夫だから本当にやめて。」とガチな様子。

これ以上やりとりをしても仕方がないので支払いは別々にして、店を出ました。

その後、街を歩いて駅に向かう途中でカバンが重そうだったので、

「持とうか?」と聞くと

「私がそんなにか弱そうにみえる?(腕にコブを作る仕草)」

と返答が。。。

「いやそういうわけじゃないけどさ」

“You know what? That is like a Asian man. Looking down woman as if they are belongings to you. (いやさ。それって本当アジア人の男って感じだよね。そうやって女性を自分の所有物のようにあつかってさ)”

と言われて、この時点でぼく大撃沈。

えだって、日本でそうやって振る舞うことがいいとされているから、そうしただけなのに。見下すとか、そんなこと全く思ってもいなかったのに。。

***

さて読者のみなさんはおわかりいただけたでしょうか?僕がどこでスウェーデンではあるまじき間違いを犯したのでしょうか。ヒントは、彼女が使った言葉「所有物」です。

赤ペンチェックしていきましょう。

まず一つ目は、お会計でぼくが全額払おうとしたことです。二つ目は、ぼくがバックを持ってあげようとしたことです。このどちらにも共通するのは、男性(ぼく)が彼女の為に何かをしてあげようとしたということです。そしてその根底には、ぼくの「デートでは男性が女性におごるべき」「重いものをもってあげるべし」という偏った社会規範意識がありました。

おごる・おごられ文化の違い

デートで男性が女性におごることは、欧米のなかでもそうすることが当たり前の国とそうではない国があるようです。例えば、アメリカではそれでもいいと友人が教えてくれました。しかし、スウェーデンはそもそも友人同士や先輩後輩の会食でも、日本のように誰かが多く払うということは、日本ほど当たり前ではありません。(個別具体的な違いは当然あり)

おごっても失礼にならないのは、

・かなり親しい間柄(友人・カップル)

・特別な日

くらいで、逆にそこまで知り合っている仲でもないのに多く払う・払ってもらう、ということはあまりありませんでした。だから男女のデートでも、誕生日や特別な日でもない限り、会って日が浅いときにおごるというのは不自然になるというわけです。

「重いものをもってあげる」というマッチョ文化の象徴

10代の頃、ファッション誌のデート作法コーナーを熟読していたのがぼくです。

「カバンが重そうだったら持ってあげる」

「二人で歩いている時に何もいわずに、さりげなく車道側を歩いてあげる」

「モテる男はこれだけやっとけ!」といコーナーの鉄板がこれ。そういう気遣いができる男がモテると。

しかし、今回なんでそれが裏目に出たか。それは「強者の弱者への眼差し」と彼女が受け取ったからではないでしょうか。「カバンを持ってあげる」「車道側を歩いてあげる」の両方に通じるのは、気遣いではありますが一歩間違えれば「強い人が弱い人を守ってあげる」という父権主義(パターナリズム)です。

スウェーデンがどのようにして体罰を廃止したのかを綴ったこちらの文書でもこの「強者の弱者への理論」が指摘されています。

「理に適った体罰」や「法的に容認される懲罰」といった概念は、子どもを親の所有物とする認識から生まれます。そのような「権利」は、弱者に対する強者の力に基づいており、暴力と辱めによって維持されます。| スウェーデンはどのようにして体罰を廃止したのか?

夫婦間での家庭内暴力はまさにこのような認識に基づいて、女性を男性が「所有する」という認識のもとに、強者から弱者への力の乱用の結果ということになるのでしょう。僕自身が、そのような認識はもちろん持っているとは自分では思っていませんが、根本的には男女不平等点では一致します。

日本社会の規範、例えば飲みの席で男性が多く払うことやクラブの入場料が男女で異なることなどは北欧人が日本に来て「理解ができない」ことの一つであるとよく聞かされます。「男性が経済的に多く負担する」という規範意識は、「男性が女性よりも経済的に上の立場にある」ということになるからです。男女は政治的、経済的、そして社会的に平等であるべきというフェミニズムの考えからすると、これはアウトになります。そういう社会で育っていれば、自動的にインストールされてしまうのです。

「男性らしさ」に縛られていた僕

また彼女が、僕自身が「アジアの男性らしい」と形容したことからも、もう一つのことに気づいていたといえるでしょう。それは、僕自身が「男性としての役割」に縛られていたということです。

国連のエマ・ワトソンの有名なスピーチは、まさに男性自身が社会で規定される「男性らしさ」から解放されることを説いています。

男性がジェンダー・ステレオタイプにとらわれていることについては、あまり話されることがありません。しかし、男性は確実に「男性とはこうであるべきだ」というステレオタイプにとらわれています。彼らがそこから自由になれば、自然と女性も性のステレオタイプ(固定観念)から自由になることが出来るのです。

「モテるために男性はこうあるべき」というあの雑誌の特集が、そもそも間違っていたということです。そして、ことの核心はここにあるとエマのスピーチは続きます。

男性も女性も繊細であって良いのです。男性も女性も強くあって良いのです。男性と女性というジェンダーを2つの全く異なった両極端のものであるという考え方から自由になり、男性と女性をひとつのものとして考えるのです。私達は私達自身以外の何者でもない、私は私であると受け入れることで、私達はもっと自由になることができるのです。

つまり、あなたはあなたの「らしさ」でいいということです。そういえば、最近は「優秀な人」とは、その人らしさでいれている人だということは以下の記事も書きました。正直者でよかったんですよと。

正直者が馬鹿を見る日本で、それでも「うそをつかない」で生きることの意味
最近、自分の中でホットなキーワードがいくつかある。そのひとつがPersonal Integrityだ。感覚にすぎないが、スウ...

ぼくが日本社会で当然とされていた「男らしさ」に毒されそれをスウェーデンに持ち込んで来たこと、「男らしさ」から解放できていないこと、ぼくのぼくらしさに触れることができないことに、彼女は嫌悪感を抱いたということなのでしょう。

男女平等の国、北欧

スウェーデンをはじめとする北欧諸国は、世界で最も男女平等が進んでいる国といわれています。

例えば、

世界経済フォーラムの世界男女格差指数(Gender Gap Index2015)のトップはアイスランド、2位ノルウェー、3位フィンランド、4位スウェーデンです。他にも、

・男女の賃金格差が世界一低い国 (スウェーデン)

議席の40%以上が女性(スウェーデン)

・2014年の総選挙でフェミニスト政党が誕生(スウェーデン)

・1980年、世界初の女性大統領誕生 (アイスランド)

最近ではこんなニュースもありました。

【ロンドン時事】スウェーデンのロウィン副首相は3日、女性の同僚7人を従えて地球温暖化対策の文書に署名する写真をツイッターに投稿した。AFP通信は、トランプ米大統領が男性の同僚に囲まれ、人工妊娠中絶を支援する団体への補助金を禁止する大統領令に署名したのを皮肉ったものだと伝えている。

今回の一件でよくわかったのは、これらがただの数字やニュースなのではなく社会で当然のように根付いているということです。

このデート以来、いい意味でトラウマになってるので男性がおごるという「男性はこうあるべし!」像を気にすることはなくなりました。しかし、日本に帰ってきてからは、「ケチな男」とみられないかビビってはいます。。

Photo via VisualHunt.com

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